文学部・文学科 │ 聖徳大学

RE科目「戦国大名」報告

22.01.10

RE科目「戦国大名」は、小田原城を本拠として関東一円を支配した北条氏(後北条氏)を中心として、戦国時代の大名と城について学んできました。
学外授業では、日頃調べてきた内容をさらに深く知るために、小田原城と周辺の遺構の踏査を行いました担当は、歴史文化コースの黒須利夫先生と藤井崇先生です。

小田原城の歴史は、戦国時代と江戸時代以降という2つの時期に区分されます。私たちが知っている小田原城は、実は江戸時代に築造されたもので、戦国時代には北条氏の居館があった場所でした。戦国時代の小田原城は、現在の城郭の裏山にあたる八幡山の上に築かれていました。

学外授業では、まず江戸時代の小田原城(小田原城趾公園)を見学し、その後で戦国時代の北条氏小田原城跡(八幡山古郭)を訪ねました。

小田原城趾公園では、馬出門(うまだしもん)から銅門(あかがねもん)という、本来の登城ルートで入城しました。銅門は特別公開がなされており、銅門内部に入ることができました。内部では小田原評定(豊臣秀吉と戦うか否かを話し合った、北条氏の重臣会議)の場面が再現されており、皆で写真を撮ることができました。

本丸に入り、天守閣を外から見学していると、手作りの甲冑を身にまとったボランティアの方々がいらっしゃいました。写真は、皆で一緒に(静かに)ときの声をあげた時の様子です。

その後で、今回の学外授業の主目的である、戦国時代の北条氏小田原城の景観を探るために公園の裏山を登ります。まず、現在は八幡山古郭と呼ばれる遺跡の見学に向かいます。東曲輪(ひがしくるわ)は、国指定遺跡として整備されています。

さらに八幡山を登り、北条氏小田原城の主郭(本丸)があった県立小田原高校の隣を抜けながら、「小峯御鐘ノ台大堀切」に向かいます。戦国時代の城は、その外郭に空堀と土塁をめぐらし、総構(そうがまえ)と呼ばれる防禦施設を備えているものがありました。「小峯御鐘ノ台大堀切」は小田原城総構の一部で、戦国時代当時の姿をよく残す貴重な遺構です。現地に行ってみますと、幅20~30m、深さ10m以上、堀の角度は50~60度という空堀がおよそ250mにわたって現存していました。空堀としては、全国でも最大規模だそうです。皆で一緒に、戦国時代の兵となった気分で空堀の底を歩きました。

空堀を抜けると、相模湾が眼前に広がりました。豊臣秀吉の小田原攻めでは、ここに秀吉方の水軍が展開していたことを想像しながら、また写真を撮影しました。

今回の学外授業は天候に恵まれ、予定よりも早くルートを歩くことができました。小田原城趾公園にもどると、観光客の行列も出来ていなかったため、天守閣に入場することにしました。天守閣から八幡山古郭など、歩いてきた遺構を再確認しながら、充実した学外授業を終えることができました。

 

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