文学部・文学科 │ 聖徳大学

RE科目「文豪を訪ねてⅡ」報告①

23.12.04

「日本一楽しく学ぶ」をコンセプトに開設された聖徳大学文学部の参加型体験授業、「RE科目」(REとは、Reality Experience:人生におけるとても貴重な本質的体験という意味)のご紹介です。

RE科目「文豪を訪ねてⅡ」ではこのほど、太宰治の面影を追って、東京都三鷹市界隈の文学散歩を楽しみました。

無頼派作家として知られ、若者たちに熱狂的に読まれた太宰治。聖徳大学文学部でも人気が高く、毎年、卒業研究の対象に選ばれています

その太宰治は、昭和14年から、亡くなる23年まで、疎開期間を除いて、三鷹で過ごしました。『斜陽』『人間失格』『ヴィヨンの妻』『おさん』など、今も読み継がれる名作の数々も、ここ三鷹で書かれました。

JR三鷹駅に集合して、まずは駅の近くの「三鷹 跨線(こせん) 人道橋」(跨線橋)へ。昭和初期に設置され、太宰治にも愛されましたが、解体されることが決まっています。太宰は友人や編集者としばしば、この跨線橋を訪れ、欄干(らんかん)にもたれる写真も残っています。

太宰は妻の実家のある山梨県甲府市に住んでいたうえ、小説『富嶽百景』など富士山を描いた名編も書いています。この跨線橋の上から富士山を眺めて、何を思っていたのでしょう。あいにく、この日、富士山は見えませんでしたが、学生たちは作家と同じ場所に立ち、西の方角を見つめていました。

次に太宰治文学サロンへ。太宰と縁の深い酒店の跡地に建てられた施設です。太宰の居宅の模型をはじめ、写真や地図、直筆原稿などが見学できます。地元のボランティアの方の詳しい解説を聴きながら、名作群の世界に思いをはせていました。

そして、太宰ゆかりの場所を次々に回りました。太宰と共に死んだ愛人の山崎富栄の下宿跡。2人が編集者たちとともによく訪れた小料理屋の跡。2人が身を投げた玉川上水のほとり。太宰の居宅跡まで歩いて、三鷹駅からの距離や周辺の地理を実感しました。

最後はお墓参り。禅林寺の太宰のお墓の斜め前には森鷗外のお墓もあります。学生が持参したお線香を手向けて、一人一人が手を合わせました。今も根強い人気を誇る作家に、学生たちは何を語りかけたのでしょう。三鷹駅までの帰路、彼女たちが無口になっているのが印象的でした。

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