文学部・文学科 │ 聖徳大学

RE「文豪を訪ねてⅡ」報告②

19.12.05

ダザイの面影を求めて。

RE科目(参加型体験授業)「文豪を訪ねてⅡ」ではこのほど、太宰治ゆかりの東京都三鷹市界隈で学外研修を実施しました。担当は日本語・日本文学コースの重里徹也先生と李哲権先生、図書館情報コースの村山隆雄先生(図書館長)が特別参加してくれました。

JR中央線の三鷹駅に集合して、いざ、散策開始です。三鷹市と太宰の関係を熟知している、みたか観光ガイド協会代表の小谷野芳文先生と同協会の石原由美子先生が案内をしてくださいました。

太宰は終戦前後の一時期を除き、亡くなるまでの9年間を三鷹で過ごしました。この間に『人間失格』『斜陽』『ヴィヨンの妻』などの代表作を書き続けました。三鷹の街のそこここに太宰の記憶が残っているのです。

ゆかりの酒店跡にある太宰治文学サロン。太宰治の旧居跡。一緒に死んだ愛人、山崎富栄の下宿があった場所。太宰がよく訪れて、2階は仕事場になっていた小料理屋のあった場所。身を投げた玉川上水。お墓のある禅林寺。作品にも描かれたことのある土地も多く、どこか懐かしい気持ちさえしてきます。

街を歩きながら、「恥の多い生涯を送って来ました」(『人間失格』)と「私たちは、生きていさえすればいいのよ」(『ヴィヨンの妻』)の間で揺れ動いた無頼派作家の心情と思想を考えていたのです。

中学生、高校生の頃なら、太宰の小説を読むと傾倒して、自堕落な生活をしそうになった人もいたかもしれません。でも大学生になって授業で深く細かく読むと、その語りの妙や人の世の欺瞞への批評について、距離を置いて楽しめるようになってきました。

なぜ、太宰治は相変わらず、日本人に人気があるのか。お墓に手を合わせながら、冷静にそんなことも考えたいと思いました。

晩秋の1日。太宰が小説にも描いた富士山が見えればいいな、と思ったのですが、それはかないませんでした。日が暮れるのが早くて、季節の移ろいを実感していたのです。

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