【コラム/文芸】ホトトギス哀話
21.06.10
前回ウグイスの話を紹介した。そのウグイスの巣に托卵して自身の雛を育ててもらう、ウグイスにとっては天敵といってよいホトトギスにまつわる話を今回は紹介しよう。
屋代弘賢『古今要覧稿』(注)によれば、屋代自身が観察したところ、孵化して雛となり、巣立ちを迎える時期には仮親であるウグイスの倍ほどの大きさになってしまう。その巨大な子を伴って枝から枝へ飛び移りながら、けなげにも蜘蛛などを取って口移しに与えるのである。とにかく孵化してから餌を与えるのにウグイスの雛より大きな嘴でつつかれるため、ウグイスの口の周囲の毛は剥げてしまうともいう。
屋代はまた、仁木藤左衛門方で飼育していたホトトギスについて、その飼い方を紹介している。巣から雛を籠に移して養うには、ウナギを細かく切ってすり餌にまぶすのだそうだ。さらに、冬には寒気から守るため、藁を入れて巣を作り、籠を二重にしたうえ、布団でくるみ、炬燵で暖を取らなければならない。なかなか贅沢で手のかかる厄介な鳥だ。無論、現代ではどんな野鳥も飼育してはならないことになっているから、実験することはできない。
この鳥は、繊細で臆病なところがあり、仁木の家を訪れた多数の来客が珍しいといって籠のそばに近寄ると、驚いて餌を食べなくなったことがあった。その時、仁木が思い出すには、牛馬を多く野に放った夕方に女が迎えに出れば、その後を慕って戻ったのを見たことがある。そこで、この鳥への給餌を妻に命じたところ、やがて元のとおりに餌に食いついた。そればかりでなく、餌を手順どおりに与えないと食べないこともあると仁木は付け加えた。
さらに、どこから聞いたのか明らかでないが、酒造家はこの鳥の羽毛を非常に重宝がる。雌雄にかかわらず、その羽毛を酒樽にさしておくか、または近くに置くだけでも、その酒が変質することがない。もし味が変わった酒があれば、その羽毛を黒焼きにして酒の中へ入れると、たちまちもとの味に戻る。それで、田舎の者はこの鳥を手に入れると必ず酒造家に売るのだという。どうもここまで来ると、根岸鎮衛『耳嚢(みみぶくろ)』にありそうな話で、眉に唾をつけたくなろう。
ホトトギスは渡り鳥である。5月ごろ日本に渡って来て、現在ではほぼ全国に分布する。ただ、屋代が上記書に引く滕成裕(とうせいゆう)(佐藤中陵、水戸藩の本草学者)編『飼籠鳥』(かいこどり)』(文政4年―1821―頃成)によると、享保年間(1716~1736)には伊勢や薩摩でホトトギスの声を聞いたことがない。昔、薩摩では国主が江戸から3羽取り寄せ、その声を知らない者に聞かせようと城中の山に放ったところ、翌春は2羽が鳴いたが、その翌年には1羽のみとなり、さらにその翌年には声が絶えてしまった。その後、薩摩ではホトトギスの声を知らないままであったが、この7~80年の間に南国にも広まり、伊勢にも至って数多いと記している。
ホトトギスは、インドから中国南部・マダガスカル・アフリカ東部まで広く分布しているそうだから、九州西南に渡って来なかったという上記の話をにわかに信じることはできないが、長崎に遊学した滕成裕がホトトギスの初鳴きに接した折、その土地の人々はこんな鳴き声は初めて聞いたと言ったというから、本当かもしれない。
ホトトギスの鳴き声の聞きなしとそれに基づくこの鳥の異名は、地域ごとに異なるばかりでなく、この鳥の前生を人間とする譚が無数といってよいほどある。柳田国男「野鳥雑記」(昭和15年初版『野草雑記・野鳥雑記』所収)によれば、「昔々時鳥と郭公は兄弟で又は姉妹で、誤って一方を殺して悔い嘆いて鳥になつたといふ類の口碑が、少なくとも国半分に拡がつて居るのである」という(『定本柳田国男集』第22巻、96ページ)。例えば、青森県の広い地域に亙って、この鳥をコナベヤキという。秋田北部でもナベコドリという異名がある。兄が働きに出た留守に、弟が一人で小鍋立てをして楽しんでいる。そこへ兄が帰って来たため、弟はそっちへ隠れこっちへ隠れして、食えるだけ食ってしまうと、背中が裂けて死んでホトトギスになった。だから、鳴き声が「アチャトデタ、コチャトデタ、ボットサケタ」というのだという昔話もある。
奥州各地に残る話はさらに哀しい。心のひがんだ盲目の兄が、妹の掘って煮て食わせた山の芋があまりに旨いので、妹はもっと旨いのを食っているだろうと邪推した。そこで包丁で妹を殺したところ、鳥になって「ガンコ、ガンコ」と鳴いて飛び去った。ガンコとは、芋の筋だらけの悪い部分を指す。私の食べたのはガンコだという意味で、それを悟って悔いた兄も鳥となり、「ホチョカケタ」と鳴いて飛び、今でも山の芋の芽を出す頃になると、こうして互いに昔のことを語るのだという(同書102ページ)。
こんなに豊かな味わいのある地域ごとの昔話の伝承は既に失われていよう。現代では、「鬼滅の刃」に見るように、一気に世界中に拡がる物語を生産している。地域性が取り払われた代わりに、新しい物語を求めて交替するサイクルは非常に速くなった。従って、昔話の説く古臭い前生譚や因果応報の道理などは捨てて顧みられないと思っているかもしれない。しかしながら、昔話の持つ根幹の思想と物語の文法は、現代の物語にも連綿と引き継がれているのである。それについては、いずれ稿を改めて述べよう。[碁石 雅利]
(注)1821年(文政4)に幕府の命によって全1000巻の予定で編纂を開始、1842年(天保13)までに560巻を調進したが、弘賢没後は編纂が中絶した。1905~1907年(明治38~40)にかけて刊行された。事項は神祇・姓氏・時令・地理など20部門別に意義分類して、その起源や沿革などに関してまず総説を述べ、古文献の記述や本題にちなむ詩歌を引用し、別名などを示す。引用が豊富でしかも詳しい。日本初の本格的な類書といえよう。(日本大百科全書)なお、本稿は国立国会図書館デジタルライブラリーに拠った。
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