短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

【コラム/文芸】ひとくひとく

21.03.25

今年は桜の開花が早く、すでに満開の時期を迎えている。

春を告げるという鴬も、例年より早くさえずり始めたようだ。

その鶯の鳴き方には、いくつかの段階がある。

お馴染みのホーホケキョから始まり、ピピピピピと音階をなだらかに下る。いわゆる谷渡りである。そして、さらにケキョケキョケキョあるいはケキョクケキョクと続き、しだいにテンポがゆっくりとなって終わる。

大体この三段階かと思う。谷渡りとケキョあるいはケキョクは警戒音とされ、人が近づくなどの危険が迫るとホーホケキョを直ちにやめてピピピピピとけたたましく発する。

山口仲美『ちんちん千鳥のなく声は』(講談社学術文庫)によれば、第一段階のホーホケキョを「法華経」と聞きなしたのは、江戸時代からだという。以下同書から引くと、それ以前は、「法吉(ほほき)」(『出雲国風土記』)、「三光(月・日・星)」(狂言「鴬」)などが見られ、そもそも「ウグイス」自体が鳴き声を写したものだという説もあった(鈴木朖(あきら)『雅語音声(おんじょう)考』)。

加えて、若い鶯の未熟なさえずりさえ「ほほうほほう」と褒め言葉のように受け取っている(人情本『風月花情春告鳥』)。そればかりか、鶯が普段鳴くチャッチャッという舌打ちに近い地鳴きまで「千代千代」と聞きなしていた(『閑吟集』)というから驚く。

これらの中に、「梅の花見にこそ来(き)つれ鶯のひとくひとくと厭(いと)ひしもをる」(古今集・誹諧歌・1011)に見える「ひとくひとく」の一類があった。梅花を見に来ただけなのに、「人が来る、人が来る」と鶯が警戒して嫌っているというのである。

この「ひとくひとく」に掛けられた「人」と「来」のアクセント(当時)を調べてみると、古今集中の「人」に付された声点(アクセント符号)は高低であり、東京語でいえば「肩・針・窓」などと同じ頭高のアクセントとなる(秋永一枝『古今和歌集声点本の研究』)。院政期の漢和字書『類聚名義抄』を検しても同様であった。一方「来」は、「クウ」と引き延ばし、ウが高くなる上昇調だったと見られている。すると、「人来」は高低高となり、「ひとく」と写した鳴き声は、上に挙げた第三段階のケキョクにほぼ当てはまる。恐らく、「ピトク」と聞き取り、似た発音でしかもアクセントがほとんど同じ「フィトクウ(人来)」(当時のハ行音は「ファ」行だった)に掛けたのであろう。

新全集『古今和歌集』の頭注に「ホーホケキョを「ひとく(人来)」と鳴いたとしたのである」としたのは明らかに誤解で、実は第三段階ケキョクのさえずりだったのである。この「ひとく」が『大和物語』『蜻蛉日記』などにも引かれ、江戸時代まで続く聞きなしの一系譜を成していたことは山口氏が紹介してくれていた。しかし、ホーホケキョくらいしか知らない都会人には、それが鳴き声のどの部分なのか分からない。1943年静岡市に生まれ育った山口氏にとっては自明だったのであろう。

以上のように、第一段階と第三段階及び地鳴きに対する古人の聞きなしは、細かい所まで行き届いた観察の結果であった。それだけに、第二段階の谷渡りをどう聞きなしたのか知りたくなってくる。そこで、仮名草子『昨日は今日の物語』から谷渡りとそれに続くケキョケキョを模した「鴬言葉」という笑話を紹介して本稿を閉じよう。

四十五の娘をはじめて嫁入りさせるというので、親は、

「決して、家でしたように大声で物を言うでないぞ。嫁というものは、いかにもしとやかに、鶯の初音のように、細々とした声で話しするもんじゃぞ」

と、くれぐれも言いふくめた。さて、嫁入りして明けの日、宵に食べた菜漬けのおいしい味が忘れられず、舅に向かって、

「ひら茎を頂きとうございます」

と頼んだ。舅はこれを聞き「さてさて、これは面白い」と思って、わざと長いものを出してやると、また鶯の飛び鳴きで、

「ききき、切って切って」(平凡社東洋文庫、215~216ページ)

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