短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(137) 江戸の珍談・奇談(17)

15.07.18

梟(ふくろう)は卵から生まれるのではない。土をこねて子をつくるのである。などと言えば、現代なら誰も信ずる者はない。江戸時代とて、まるまる信用したわけでもなかろうが、次のような話が伝わっている。

支唐禅師が諸国行脚をしていた折のこと。出羽の国から禅宗の寺のある所へ移り、しばし逗留した。寺の庭前に、朽ちて半ばから折れ残った椎の巨木がある。ある日、住持(=住職)が人を使ってこの木を掘り取らせたところ、朽ちた空洞の中から、番(つが)いの梟が二羽飛び去った。その跡を開いてみると、土で造った梟の形が三つある。その中の一つには、すでに羽毛が生えて、喙(くちばし)と足とが揃っていたのである。少し生気も感じられるようだ。三つともに大きさは親鳥ほどである。住持はしきりに不思議がる。そこで、禅師が「以前に聞いたことがあるが、目の当たりに見るのは大変珍しい。梟は、すべて土をこねて子を造り出すものだ」と言うと、住持も禅師の博学に感動した。〈大田南畝(おおたなんぽ)『仮名世説(かなせせつ)』―『日本随筆大成』第2期 2、267ページ〉

このような一種の怪異にどう反応するかによって、当時の人々の考え方が知られるのだが、残念ながら、インテリ大田南畝は、これについて感想も意見も述べていない。

次の話は、いかにも実話らしく見える。あるいは信用してもよいかもしれない。

江戸浅草阿部川町にある商家の土蔵の雨よけが破損したため、修理しようとその経費を計算した。大して費用はかからないものの、儲けの少ない仕事であるから、「釘を多めに打って少し手を入れておけば、しばらくは雨を防げるはずだ。そうして改めて作り直すのがいいだろう」という大工の意見に従って、釘を打ち加え、あちこち補修して済ませた。その後三年して、再び破れたので、今度はいよいよ作り直すしかないと、大工に下見のための板を剝がして見させると、その板と壁との間に、一匹の蝙蝠(こうもり)が、飛び去りもせずそこにいた。よく見ると、蝙蝠の翼が釘に打ち貫かれて、ひたすらくるくると釘の周りを回るのである。このせいで、土蔵の壁も輪のように窪んでいた。釘に貫かれた箇所は、翼の肉が盛り上がっている。大工はこれを見て嘆息した。「こうして蝙蝠を苦しめたのは、俺の罪だ。しかし、年月が経つのに、この蝙蝠は何を食って生きていたのだろう」と思って気を付けて見れば、蝙蝠の棲む所の下に糞がある。聞き付けて近所の者たちが、この不思議を見に集まった。その中の一人が「その蝙蝠は雌か雄かは知らぬが、その片割れが餌を運んで養っているに違いない」と言った。人々は、蝙蝠夫婦の厚情に感じ入り、皆涙を落として憐れんだという。〈山崎美成『提醒紀談』に引く「天然訓」の一節―同上、162ページ〉

その後、慈悲心を諭され、善智識(=高徳の僧)と同じだと大工を感激させた蝙蝠を追い出すに忍びず、釘を抜いてやると、商家の主人は、雨よけを改築せずそのままにした。蝙蝠は元の通り棲み続け、夕暮れになると土蔵に出入りしたそうであるから、ご安心いただきたい。

(G)
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