短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(43)『うつほ物語』の老女の恋②(忠こそ巻)

12.06.22

一条北の方は夫(左大臣・源忠経)を亡くした後、やはり同じく妻を失った右大臣・橘千蔭に懸想をします。一条北の方は五十歳余り、千蔭は三十余歳。親子ほどの年の差がありますね。老女の手練手管に千蔭は陥落し、しぶしぶ一条邸に通うようになり、ずるずると関係を続けますが、しだいに足が遠のいていきます。

さて、千蔭には、亡妻との間に生まれた「忠こそ」という息子がいました。なんと、一条北の方は、この忠こそにも言い寄ったのです。もちろん忠こそはやんわりと断ります。一条北の方は、「われに恥見すること」、恥をかかされたと思って、千蔭・忠こそ父子に復讐を企てるのでした。

千蔭が一条邸に忘れていった大切な石帯(束帯のとき、袍に締める革帯のこと。黒漆革に、身分によって玉・瑪瑙などの石を飾った。)を、博打(「ばくちうち」のこと。)を使って蔵人所に売らせ、まるで忠こそが盗んで売ったかのようにしました。でも、千蔭は息子を信じ、不問に付しました。

一条北の方は、次の復讐を企てます。亡夫の甥を使って、今度は「忠こそが帝に讒言して、父親を陥れようとしている」と、嘘の情報を千蔭の耳に入れます。とうとう千蔭は忠こそを疑い、「私を思ってくれないような噂を聞いたので、お前を最後まで愛しぬくことはできそうもない。」と言うのでした。千蔭から思いもよらない言葉を聞かされた忠こそは、絶望のあまり出家してしまいます。

その後、千蔭は忠こその失踪を知り、一条北の方の計略にまんまと引っかかったことに茫然とするのでした。

もちろん千蔭は一条北の方との縁を絶ちます。千蔭は小野に隠棲し、亡妻と忠こそのために仏事に専念しますが、忠こそには再会できないまま亡くなりました。

気の進まない相手と付き合ったり、大事なもの(石帯)をうっかり交際相手の家に忘れたり、長年一緒に暮らしてきた息子を信じないで、狡猾な人の言うことを信じた結果、千蔭は不幸になったのでした。

さて、一方、一条北の方はどうなったのでしょうか。千蔭のために散財し、すっかり落ちぶれてしまった彼女は、乞食同然になります。忠こそが出家してから約四半世紀後、真言院の阿闍梨(=朝廷から任じられた僧位。)となった忠こそは、偶然、一条北の方と再会します。

老いかがまりたる嫗のかたゐ、市女笠のいたく損はれしを頂きて、顔は墨よりも黒く、足手は針よりも細くて、継ぎの布のわわけたる、鶴脛にて、阿闍梨のまかづるに、手を捧げて、「今日の助けたまへ」と、後に立ちてはひゆく。[新編日本古典文学全集①539頁]

一条北の方は、腰が曲がり、ひどく破れた市女笠(=外出用の女性の笠)をかぶり、顔は墨より黒く、手足は針のように細く、継ぎはぎでぼろぼろになった着物をまとい、脛(はぎ)が鶴のように長く出ていました。「今日一日のお恵みをください」と言って、忠こその後に這いつくばってついてきます。

あれあれ、美しい平安貴族女性とは似ても似つかない「鬼婆」のような恰好になって、目も当てられませんね。人を貶めた者は、いつか自分にもはねかえってくるという、格好の例でしょう。

でも、ご安心あれ。忠こそは、一条北の方の姿を憐れんで、助けてあげました。

父の千蔭はもう生きていません。自分は一条北の方の讒言のために、世を捨てました。忠こそは、長年胸中の炎がさめぬほど苦しい思いをしてきた(「年ごろ胸の炎さめず嘆きわたりつることを」)そうです。それでも、忠こそは、この一条北の方を許したのです。

※讒言(ざんげん)…人をおとしいれるため、事実をまげ、またいつわって(目上の人に)その人を悪く言うこと。

(し)

・(5) 『うつほ物語』老女の恋①(忠こそ巻)はコチラへ。
・(1) 『うつほ物語』桜に書きつけた歌(春日詣巻)はコチラへ。
・高校生・短大生のための古典入門 記事一覧 はコチラへ。

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