(211)江戸の珍談・奇談(28)-3 20230621
23.06.21
そこで、太守の仰せには、「門番ごときの者が、こんな器を持つのは不審だ。役人ども十分に吟味せよ」とのことであるから、早速役人が下屋敷へやって来て、門番を呼び出して逐一穿鑿する。ありのままに申し述べると、下役人に申し付け、門番を召し連れて神田小柳町の例の裏店へ来たり、亭主を呼び出して一々吟味したりする。主人の供述も門番と一つも相違がないため、小柳町家主誰店の店子誰と仔細を記載する。下屋敷へ帰り、吟味の内容に相違なしとの書き付けを差し出したところ、即刻上役人が上屋敷へ持参し、太守にその書き付けを差し出す。太守は感悦に堪えず、「それにしても珍しいこともあるものだ、門番何某は誠に君子の志操を備え、軽輩には希な者だ。これへ呼べ」と言うので、直ちに巣鴨へ人を走らせ、支配役人から、御用の儀につき門番何某を太守の御前へ召し出せとのことである。
「定めし珍器にご満悦で、拝領物を下されるに違いない」と、麻裃だ、大小だ、と大いに周章狼狽する。元々足軽の身分だから、御前に出る着物がない。平生篤実の者だから、諸士を始め皆が集まって、着替えや大小を持ち寄り、「これを差せ。裃はこれがいい」などと世話を焼いて取り繕いながら出してやる。
早速太守に召し出され、「その方こと、この茶碗の儀につき、不思議なる縁をもって我が手に入り満足している。それにしても、軽輩に奇特な心掛け、武士も及ばぬ心底を持つ者だ。褒美として新知行地200石を遣わす。巣鴨下屋敷番を申し付ける」との御意であるから、門番は「ははっ」と申し受けるばかり、感涙が畳に流れた。諸士一同、「それにしても貴様は果報の目出度い仕合せものだ。それも心底の潔白なゆえ、現実に陰徳が陽報を得た果報者だ」と祝し感じ入った。
そしてさらに、この茶碗が太守の手に入ったお祝いとして、名誉の茶人も召して茶の湯の会が催される。例の茶碗を出し、茶道の達人に披露したところ、皆見て驚き、「誠に天下の逸品という名誉に恥じない。家宝とするのがふさわしい」と称えた。それ以来、茶人らも、この器のことを行く先々で、細川家で名器を手に入れたという噂を広めた。また、太守も同列知己の大名衆に話したので、いよいよ名高くなったという。
当時、田沼主殿頭意次は、御老中御勤め役の最中で、ご威光が盛んであった。この茶碗のことを聞き及び、細川家へ所望し、「なにとぞその名器を拝借したい」とのことである。越中守殿も、一体主殿頭の心根は存じているから、秘蔵の物を貸してやったら返すはずがないと、返事を曖昧にしておいた。主殿頭からは再三借用に及ぶため、家老・用人の中、側近の者まで太守を諫め申すには、「たびたび主殿頭から仰せがあるのに、お貸ししないのは、後々お為によろしくない事態も出来するかもしれない。たとえ貸した物がそのまま取られてしまったとしても、茶碗一つのことを、太守が惜しんだとあっては賤しく聞こえるから、すぐさま貸してやるように」と勧めたところ、太守は納得し、主殿頭へ遣わすこととした。
暫くして、細川家役人から田沼家役人へ、ご覧いただいたらお返しくださるよう書面を送る。しかし、田沼家役人からの返書には、「主殿頭も一覧し、誠に名器であるから早速返却したいところだが、借用中ながらどうしてもこの名器で茶会を催したいと思い、留めて置く。もう少しお待ちくださるよう」と言ってよこした。それではとそのままにして置いたところ、2・3か月経ても何の音沙汰もない。そこで再び役人から催促したところ、「しだいしだいに延引に及び気の毒だが、ご存じのとおりご多用の主殿頭であるから、寸暇も得られない。いまだに茶の集会もできない始末だ。何分御前へとりなしてもらいたい」などと言い訳をしてくる。
そのままその年も暮れ、新春に至ったにも関わらず、何の連絡もない。細川殿は、「主殿頭に貸してやった茶碗は、去年からたびたびその方らから催促に及んだが返さない。その上何の挨拶もないのは、不義無礼の至りだ。いかに小身から立身したといっても、現在天下の政治を司るお役柄を勤めながら、こんな無道の振る舞いは奇怪千万だ」と満面朱を注ぎながら怒りを露わにする。家老・用人、その他の面々は、太守の怒りを鎮めようと、深謀遠慮を図り、「ともかく何があっても御家のお大切を第一にお考えください。もちろん不慮に名器がお手に入ったことのご満悦はさぞかしと拝察するが、先達ても申し上げたとおり、主殿頭の望む物を遣わさなければ、後難を免れない。そのままでは主殿頭のお怒りがいよいよ増して当家の大事にも発展するだろう。古今その例は多い。これは第一に大切な場面だ。たとえ千万金に換えがたいとしても茶碗一つのことだから、太守のご身代では何の不足もあるまい。お手に入らなかった前とお考えになれば、それで事は済む。ひらにご憤激をお鎮めくだされ。これ以降は知らぬ体でいらっしゃるよう一同願う」と口を揃えて懇々と説く。
さすがは五十万石の諸侯である。言葉を和らげ、「汝らが家を大切に思うゆえに、自分を諫める一言を聞き届けた。どうして茶碗一つを惜しもうか。しかし、主殿頭のやり口の憎さは断腸の思いだ」と渋々承知したので、諸士一同に「お聞き届けくださり有難い。主殿頭の無道は言語道断、私どもも憎んでいるけれども、お家には換えがたいのだから、同役どもと内談したことがある。かねて御前にも神田橋外明地をお屋敷になされたいとのお望みがあったが、前々から申し上げるとおり、あの明地は先年水野出羽守様お側衆がお勤めのために拝領した所で、その後目黒行人坂の火事によって類焼した結果、所々明地が出来た折、右の屋敷のあった所が元の野原となり、その後、御三卿様が望まれたものの叶わなかったと聞いている。まして外様から願い出ては叶うはずもないが、この度の茶碗の件もあり、叶わないことを知らぬ体でご拝領を願い出れば、ひょっとしてやむなく取り繕い、拝領にもなるかもしれないと皆で評議した。ご賢慮ではいかがお考えか」と申し上げたところ、太守はうなずき、「なるほど、かねて望んでいたが、とても叶うまいと聞いて願い出なかったのだ。その方らの思惑のとおり、叶わないことを知らぬふりをして願い出よう」と言う。
その後、主殿頭殿がお月番の折に願出書を提出したところ、程なく願いのとおり拝領を仰せつけられた。太守も悦ばれ、憤怒の炎が消えたので、諸士も安堵の思いをなした。それ以来、だれ言うとなく、この屋敷を茶碗屋敷と言うと伝えている。 (G)