短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

槿と朝顔

22.10.05

 

 10月に入り、そろそろ紅葉の便りも聞かれようという季節であるが、ここ数日は残暑が厳しい。

 街路には槿(むくげ)の花が開いている。ハイビスカスに似た花の形で、めしべが長く突き出しているのが特徴だ。外来種であるが、いつ日本に入って来たのかは、明らかでない。万葉集に「あさがほ」の名で登場するのは、この槿だとも、あるいは桔梗だともいう。現在の朝顔とは異なる。朝顔は、平安時代になって遣唐使が種を持ち帰ってから日本に広まったとする説がある。

 「むくげ」という名は和語ではない。韓国では「ムグンファ」という。「木槿花」を朝鮮語の漢字音で読んだもので、後世、類音の「無窮花」を宛てたらしい。韓国の国花である。同じ漢字を古代日本語では「むくげ」と読んだ。「げ」は「沈丁花(ぢんちょうげ)」「石楠花(しゃくなげ)」「曼殊沙華(まんじゅしゃげ)」の「げ」と同じである。因みに和語では「きはちす」と言った。

 槿は、朝顔と同様に朝に花を開き、夕暮れになると萎(しぼ)んでしまう。古く白氏文集に「松樹千年終是朽(松樹千年なるも終に是れ朽ち)、槿花一日自為栄(槿花一日なるも、自ら栄を為(な)す。)」(巻十五、放言五首のうちの其五)と詠まれていた。「松の木は千年の樹齢があっても、やがて最後は朽ちるものだし、朝顔の花は一日の寿命しかないが、それはそれで花を咲かせるものである。」(新釈漢文大系『白氏文集(三)』の通釈)と解されている。この漢詩の主旨は、松樹や槿花の運命を見ると、人間が俗世に生を厭い、死を苦にする必要はないという無常観を詠じたものであった。

 この「槿花一日自為栄」だけを取り上げ、わずか一日のはかない栄華の意と解して、「槿花一日の栄」「槿花一晨の栄え」「槿花一朝の夢」などのことわざを生んだという。一種の断章取義である。

 さて、朝顔といえば『源氏物語』の朝顔の巻が思い浮かぶ。源氏がプラトニックのままで終わった相手とされる朝顔の君の名である。この朝顔を槿だとする説が古くから行われていた。だが、「枯れたる花どもの中に、朝顔のこれかれに這ひまつはれてあるかなきかに咲きて、にほひもことに変はれるを折らせたまひて(朝顔の君のもとに)奉れたまふ。」とある「這ひまつはれて」から想像すると、現在の蔓のまつわる朝顔が連想されて当然だ。しかし、ここでは旧暦の9月が舞台となっており、花の咲く時期に不審がないわけではない。

 かといって、ここを槿だとしても、やはり「這ひまつはれて」にそぐわなくなってしまう。一体、ここの「朝顔」とは何なのか。意外に思われるかもしれないが、「日本朝顔」は10月頃まで咲く姿が見られ、時には11頃に見かけることもある。『源氏物語』の舞台は京都であるが、季節外れの朝顔だったのかもしれない。

 源氏が朝顔の君に詠みかけた歌「朝顔の花のさかりは過ぎやしぬらん」をより効果的に見せるための舞台装置として、作者がいささかいたずら心を発揮したものではないだろうか。



チバテレの情報番組 「モーニングこんぱす」内で、総合文化学科が紹介されました。 ”楽しい学生生活”の様子がよくわかります! YouTubeの聖徳大学チャンネルをぜひご覧ください♪

※ ツイッター・インスタグラムも日々更新しています!

PAGE TOP