短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

【コラム】「いかにおわす父母(ちちはは)」

22.06.23


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町内のラジオ体操に参加している近所のご老人が、同じ体操仲間である家人に語った話である。通常のラジオ体操第一の後に、文部省唱歌「故郷(ふるさと)」に合わせて体操をする。ところが、その歌詞の2番にある「いかにいます父母」をそのご老人は「いかにおわす父母」と記憶していた。そのため、その箇所に至るといつも違和感を覚えるというのである。

唱歌の歌詞が改変されることは、過去に例があった。よく知られているのは、「春の小川」である。発表当時の1912年版(『尋常小学唱歌(四)』)では、以下のような歌詞であった(1番のみ掲げる)。

春の小川は、さらさら流る。
岸のすみれや、れんげの花に、
匂(にほひ)めでたく、色うつくしく
咲けよ咲けよと、ささやく如(ごと)く。

これが、1942年版(国民学校『初等科音楽 一』-3年生用-)になると、「さらさら流る」が「さらさら行くよ」、「匂めでたく」が「すがたやさしく」、「咲けよ咲けよと、ささやく如く」が「咲いているねと、ささやきながら」と改変された。国語(「国民科」の中の一教科)で文語文を教えるのは5年生以上と国民学校令施行規則に定められたため、「うみ」や「スキーのうた」などの作詞で知られる林柳波(1892~1974)が、それに連動して唱歌の方も口語体に改めたとされる。

「春の小川」の改変はそれだけに止まらない。さらに、1947年版(『三年生の音楽』)に至って、「咲いているねと」が再び「咲けよ咲けよと」に戻されている。恐らく、2番に元からある「遊べ遊べと」に揃えたものであろう。こうして、どの版を用いたか、どの教科書で学んだかで、教える方も教わる方も、歌詞の記憶が異なる事態を招いたのであった。

しかしながら、「故郷」(1914年、『尋常小学唱歌(六)』)は、このような口語体への書き換えの憂き目に遭っていない。「いかにいます父母」はそのまま伝えられてきた。それでも、文語に対する馴染みが薄くなれば、誤解も当然生まれてこよう。例えば、「君が代」(1881年、『小学唱歌集 初編』)の「さざれいしのいはほとなりて」を「いしのいわお」君だと思ったり、「浦島太郎」(1911年、『尋常小学唱歌(二)』)の「帰ってみれば こは如何(いか)に」を「帰ってみれば 怖い蟹」とSFまがいの昔話に仕立てたりするようにもなる。

「故郷」だって、ご多分に漏れない。「うさぎおひし」を「うさぎがおいしい」と子供が解するのはまだしも、「いかにいます」の「いか」はどこの県にある地名だろうと首を傾げる大人さえ現れた。
さて、本題に入ろう。

冒頭に紹介したご老人が記憶されていた「いかにおわ(は)す」には、よく似た歌詞が他にもあったのである。「故郷の空」(1888年、『明治唱歌 第一集』)の一節「ああ わが父母 いかにおはす」がそれで、この歌は、「鉄道唱歌」(1900年、第1集東海道篇刊)を作詞した大和田建樹(1857~1910)が、原曲のスコットランド民謡に合わせて詞を載せたものである。

これと混同したのではないかと結論づけてしまえば、話は簡単であるが、それでは、せっかくここまで読まれた方々に申し訳ない。「故郷」ではなぜ「いかにいます」であるのかを解明しておく必要があろう。

「います」の「ます」は「です・ます」の「ます」ではなく、「います」で「いらっしゃる」の意を表す古語である。だが、「です・ます」だと受け取られるほど、「います」の知名度は低い。それよりも「おはす」の方がいかにも古典文の尊敬語にふさわしいと感じられよう。それもそのはずで、「います」は主に上代語として用いられ、平安時代に入るとほとんど用例が見られなくなる。加えて、古めかしくしかも敬意のやや低い言い方となってしまったからである。

だが、作詞した高野辰之(1876~1947)は「おはす」を採用しなかった。「いかにいます」は「どのように過ごしていらっしゃるのか」という問いかけ文であるから、「おはす」を用いると、「いかに」に応じて「おはする」としなければならない。「います」なら、平安時代以降「いまする」もあったが、上代語「います」のまま使えた。なぜなら、音数律の制約がそこにはあったからである。

うさぎおひし(6拍)かのやま(4拍)/こぶなつりし(6拍)かのかは(4拍)

この歌は、このように6・4という調子で一貫している。その6は、さらに「うさぎ・おひし」「こぶな・つりし」のように3・3へと分割できる(「志を」「恙(つつが)なしや」の「志」と「恙なし」は、それで一単語であるが、リズムから見れば区切ってかまわない)。従って、「いかに・おはする」では3・4となってしまい不適格であるから、「いかに・います」としたのである。日本歌謡史を専門とし、上代から近世に至る日本文学の歴史に通暁していた高野ならではの選択であった。

言うまでもなく、「故郷の空」の「ああ わが父母 いかにおはす」も、古典文法の原則からは「おはする」としなければならなかった(注1)。ただし、こちらは「夕空はれて・あきかぜふき」で始まる7・6という音数律の方を重視して文法には目をつぶったのであろう(注2)。

現在でもなお、老人福祉施設などでは、イベントの最後にこの「故郷」を全員で一斉に歌う。先年91歳で亡くなった母が世話になっていた施設でもそうであった。まだ、この歌に深い馴染みのある世代が残っているのである。しかし、そろそろ老後の生活が目前に迫る50~60歳代となると、どうであろう。武田鉄矢「贈る言葉」、中島みゆき「時代」、長渕剛「乾杯」などを、朦朧とした意識の中、歯のない口で呟くことになるのか。さらに、イヤホンを耳に差し込むのが習慣づいている、もっと下の年代ともなると、どんな歌を選ぶのか、想像すらつかない。ただ、「故郷」ばかりではなく、唱歌自体がもはや絶滅しているであろうことは想像に難くない。

(注1)中村幸弘『読んで楽しい日本の唱歌Ⅰ』(右文書院、2007年)に、「故郷の空」の「おはす」は「おはする」とあってほしいところだとある。
(注2)「おはす」がサ変動詞と一般に認識されるのは、1960年代以降のことである。大和田の時代には、「おはす」の活用を四段と下二段の両用とする説が行われていた。大和田は、「おはす」を四段活用と認識していた可能性もある。それなら、音数律を考慮するまでもない。

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