短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(199)『うつほ物語』吹上・下巻の「重陽」 20200831

20.08.31

 旧暦九月九日は「重陽」です。五節供の一つに数えられますが、現代ではあまり馴染みがないかもしれません。中国より伝来した年中行事で、日本における菊花の宴の初見は685年(天武14)。日本でも年中行事として定着しました。

 『続斉諧記』によると、中国ではこの日、高所に登り菊酒を飲んだり、茱萸(しゅゆ)を身につけたりして、災厄を避ける風習があったそうです。
 周の穆王(ぼくおう)に使えた菊滋童(きくじどう)が、16歳の時、罪によって南陽郡酈県(れきけん)に流され、そこで菊の露を飲んで不老不死になったという逸話があり、菊は不老長寿の仙薬と考えられていました。

 日本では、奈良時代以降、宮中で菊花の宴が催され、菊を愛で、群臣が詩歌を作って菊酒を賜りました。平安時代には、9月8日の夜、菊花に真綿をかぶせ、翌朝その香りと露を含んだ綿で身体をぬぐい長寿を願うという「着せ綿」の風習もありました。

 『うつほ物語』吹上・下巻では、重陽の節供がとてもゴージャズに書かれています。新編日本古典文学全集の現代語訳で見てみましょう。

九日の重陽の宴は、この吹上で催される。院の帝〔=嵯峨院〕の御前を立派に磨き立て、このうえなく豪華に飾る。菊の籬(まがき)の縦木には紫檀、横木には沈木を用い、籬を結った緒には緂(だん)の組紐を使って、黄金の砂子を一面に敷きつめ、黒方を土にしている。白銀で菊を作って植えてある。色の移りかけた菊の花などがたくさん植えこまれているなかに、紺青、緑青の玉を花の露のように見せて置かせてある。

 白銀で菊を作ったとあるので造花も飾り付け、紺青や緑青の玉を露に見せかけて菊の花に置いたとあります。長寿を祈る歌も詠まれました。

  

朝露に 盛りの菊を 折りて見る かざしよりこそ 御世もまさらめ
よそながら 玉なすものは 菊園の 露の光を 見るがうれしさ
秋来れば 園の菊にも 置くものを わが身の露を 何嘆きけむ
菊園に いくらの齢 籠れれば 露の底より 千代を延ぶらむ
白菊の 同じ園なる 枝なれば 分かれず匂ふ 花にもあるかな
白菊の 千歳を籠めて 待つ園に 残れる露を 玉と見るかな

 「菊園」という表現は、散文では『うつほ物語』が初出で、平安時代の作品にはほとんど見られない言葉です。広大な菊の庭園を想像させますね。たくさんの菊に囲まれている光景を思いうかべると、読者まで長生きできそうな気分になります。
 この場面では、酒宴を催し文人たちの作った詩を吟誦したり、夜には管絃の遊びをしたりして、夜明けまで楽しんだとあります。

 今年の重陽は菊の花を愛で、災厄を祓い、無病息災を祈りたいと思います。

★淡交社の『茶のあるくらし なごみ』(2020年9月号)では、「長寿を願う、おとなの節供 重陽に菊を楽しむ」を特集しています。関心がありましたら、ぜひご覧ください。(し)

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