短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

【コラム】松戸の巨鯉

19.12.06

津村正恭(つむらまさゆき)『譚海』(寛政7年-1796-跋)は、公家や武家の逸事を始め、政治・文学・名所・地誌・物産・人物伝・怪異など広範囲に及ぶ見聞を記録した随筆集である。その巻一に松戸で巨大な鯉が捕れたという話が見えるので、ご紹介しよう。

安永元年-1772-の冬、下総の国松戸で川を堰き止めて水を干し、鯉や鮒の類を捕まえて市場で売ろうとした時に、六尺(=約182㎝)余りもある鯉を得た。だが、これを飼う容器がない。そこで、酒屋の桶に入れておいたところ、寺の住職が多くの銭に代えてこの鯉をもらい受け、元の淵へ放してやった。それ以来、この鯉を捕る者があっても、絶対殺してはならないと戒め、誓約させたという。

同5年にも、利根川で七尺を超える鯉が捕れたが、ある人の夢に現れたので、千住で金三百疋(=一疋は25文、300疋は1両3分2朱)に買い取り、不忍池に放したそうだ。

六尺・七尺とは海豚並みの大きさである。2017年4月に筑後川で捕獲された鯉は、体長約120cm、体重16・9kgの大物だった(西日本新聞)。また、秋田県の八郎潟は、鯉の釣り場として日本有数であり、過去には日本最大級の116cmが釣れたという。松戸の六尺はもちろん誇張に違いないが、尋常の大きさでなかったことは想像できよう。

この話の後半に、利根川の鯉が夢に現れたため池に放したとあった。放生してやること自体は功徳となる善行であるが、当の鯉にとってそれが本望だったのかどうか分からない。その点を皮肉っぽく示してくれた仏教説話がある。

鴨長明『発心集』中の「或る上人、生ける神供の鯉を放ち、夢中に怨みらるる事」(八-13)では、助けた鯉から逆に恨まれてしまう。

ある僧が、まだ生きたまま運ばれている鯉を買い取って放してやり、よい功徳を作ったと思っていたところ、狩衣姿の老人が夢に現れ、助けられたことを恨む。合点がいかない僧が理由を尋ねると、多年魚類の身を受けたまま得脱できずにいたが、賀茂の祭りの供物となってようやくその機会が得られたと思っていたのに、余計なことをして畜生の業を引き延ばしてくれた、と老人が言うのである。

動物の命を助けるのも、人間側の勝手な都合でしかないという逆説であろう。それはともかく、鯉を夢に見るのは吉兆だという。鯉は、化して龍となると古くから伝えられ、成長や栄誉そのものを象徴する。令和元年も押し詰まってきた。皆様の初夢にコイが現れてくれることを祈ってやまない。おやおや、鯉よりも恋の方がいいだって?

「広重魚づくし 鯉」(歌川広重画 国立国会図書館デジタルコレクションより)

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