短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(192) 江戸の珍談・奇談(25)-20

19.12.05

一場孫助は、甲府へ下る前、鈴木の家に本箱を一つ預けて置いた。その他文庫が一つあったが、それはすべて孫助自身の手による写本であった。多くは歌書だが、いずれも見事な手跡に皆感じ入るばかりである。恐らく鈴木に贈ろうとしたものと思われたが、自分には不要だから、孫助のいとこである高橋平八郎の許へ送り、換金して行方が知れたら送ってやってくれと頼んだ。ところが、親戚でも行方を知らないと言って来たため、再び鈴木の家に置いたままにしたのである。

その高橋は、生霊を呼び出す口寄せをして、「今、存命でありながら、一大事をしでかし、諸親類、諸朋友に顔向けできない」という孫助の言葉を伝えるついでに、「ところで、『円機活法』という書はいくらで売れるか」と尋ねてきた。漢詩を作るための本だが、何に使うのかと問い直すと、さる方から頼まれたのだと高橋が答える。「さては孫助から頼まれたに違いあるまい。行方知れずとは嘘だ」と鈴木は思った。だが、赦免となっても孫助に知らせないでいるところを見ると、本当に知らないようでもある。また、失踪当時は知っていても後には不明となったのかもしれない。

十数年を経て、生死を知る人もなかったが、11代将軍家斉(諡号文恭院)薨去後一周忌にあたって行われた恩赦によって孫助も赦免された。そのことを伝えるように諸親類へ沙汰があったにもかかわらず、実際に行方不明だったのか、そのままになってしまっていた。

その後二、三年を過ぎ、初めて赦免の由を聞いたと言って孫助が江戸に現れ、まず石黒宅に立ち寄る。続いて鈴木の所にも訪れ、口上書を携えて来た。「今生にお目通りはなりがたい義理ではございますが、余りにお懐かしくて参上いたしました」と言うのである。喜んで出迎え、座に付いてその姿を見ると、まったく以前の孫助とはとても見えない。髷を剃り落としてあるため、容貌まで変わっている。それが幾日も剃らないままだから、白髪交じりに伸び、いかにもみっともない。前額は禿げ上がり、前歯さえ抜けている。年齢は鈴木より一つ上だが、老僧めいた風貌となっていた。

垢染みて破れた孫助の衣服に鈴木も思わず涙がこぼれたが、無事で再会したことが嬉しくて、「どうしていたのだ。それにしても生きていれば再び会えるものだった。何から聞こうか。いや何から話してくれるのか。とても一時に話し尽くすことなどできないから、今夜は我が家へ泊っていってくれ」と言って、茶菓でもてなしながら慰労した。

一口言葉を発するごとに、憐れで悲しいことばかりである。特に、孫助が幼時過ごした家は、鈴木の家の隣にあったから、江戸追放の身とならなくても、古い住居が変わり果てた様子は悲しいことであるのに、孫助が座しながら籬(まがき)一重を隔てて今の隣家を見る気持ちはどれほどであったろう。
江戸へ帰る道中こんな歌を詠んだと言って、孫助は二首の和歌を披露した。

・夢にのみ見し古郷は夢ならでかへりてもなほ夢かとぞ思ふ(追放された地で夢にばかり見て来た故郷は、赦免されて夢でなく帰って来たものの、依然として夢ではないかと思う。)

 ・古郷へ立ちかへりても沖つ波よるべきかたもなさけなの身ぞ(赦免されて古郷へ帰って来ても、波が打ち寄せるように身を寄せられる所もない情けないこの身の上だ。)

孫助は、江戸を立ち退いた後、甲府に少しいたが、東海道へ出ると、さる寺で剃髪したものの再び放浪し、遠州大井川のほとりに人の世話で寺子屋を出した。弟子が増えたので、ようやくそこに落ち着くことにしたと、これまでの身の上をぽつぽつと語り始める。【続く】

(G)
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