短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(152) 江戸の珍談・奇談(22)-1

16.03.19

滝澤馬琴を始めとする好事家の仲間14人(うち2人は客員)が珍談・奇談を記した文稿を持ち寄って披講し回覧した文章を収載したものが『兎園小説』である。「兎園」とは、文政8年-1825-に行われたこの回覧会を「兎園会」と称したことに由来する。

外集から余録まで含めると、このシリーズは20巻14冊にも及ぶ。いずれも趣味に興じる会員の、他よりももっと面白い話を提供しようという意欲に溢れた奇事異聞に満ちているから興味の尽きることがない。

例えば、江戸時代であるから狐憑きの話には事欠かないが、こんな狐がいたらどうだろう。

文化6年-1809-の冬、加賀の備後守に仕える留守居役に出淵(いずぶち)忠左衛門という人があった。ある夜の夢に一匹の狐が現れ、忠左衛門の前に跪いてこう言う。「私は、本郷4丁目糀屋(こうじや)の裏にある稲荷の息子ですが、いささか親の意思に背いたことがあって、親もとへ帰ることができません。居所もないため難儀しております。何とも申し上げかねますが、召し使う下女の体を貸してください。しばらくの間でかまいません。程なく友人が詫びを入れて家へ帰ることができますから、それまでの間ひとえにお願いします。決して煩わせることは致しません。また、奉公の間も仕事は欠かしませんから、お許しいただきたい」と嘆く。不憫に思った忠左衛門が、面倒を起さないなら下女を化かして使ってよい、と応じると、この上なく狐が喜ぶと見て夢から覚めた。不思議な夢だと思いながら、翌朝起き出して下女を見ても、いつもと変わりがない。ところが、昼頃から突如この下女が働き出す。水を汲み、薪を割り、米を研ぎ、飯を炊き、日頃できない針仕事までこなしている。毎日このとおり一人で五人前の仕事をしたばかりか、晴天でも、「今日は何時(なんどき)から雨が降り出しますよ」と言って、主人の他出の折には雨具を用意させ、「後ほどどこどこから客人があります」などと、少しも外れることなく、万事この下女の言う通りであった。大いに家内の利益になることばかりなので、何とぞいつまでもこの狐が立ち退かないようにしたいものだと、主人が直に語っていたことを、当時懇意であった五祐という者が物語った話である。〈『日本随筆大成』第2期1、195ページ〉

この狐がいつまで下女に取り憑いてくれていたのか、その後のことは書かれていない。

蟻の集団が長期間存続するためには、働かない蟻が一定の割合で存在する必要があるという研究成果が最近発表された。常に2~3割、ほとんど働かない蟻が存在するという。働く蟻だけを集めても、一部は働かなくなる。なぜかといえば、働く蟻が休んだ時、それまで働いていなかった蟻が活動する必要があるからで、現にその現象が確認された。結果、働き方が均一な集団よりも、バラバラの集団の方が長く存続したという。昆虫の社会にも学ぶべきことは多いという一例だ。

翻って、現代の人間社会では、働かない者を排除し、均一な働き者ばかりを望む組織が目立つ。悪戯をしかけたり、害を及ぼしたりする狐なら願い下げだが、経営者からすれば、怠け者を働き者に変えてくれる狐を喉から手の出るほど欲することであろう。

(G)
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