短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(144) 月を見たら…

15.11.07

唐・李白の「静夜思」という漢詩には、月光を望み見ると故郷が懐かしく思われるとあります。

牀前 月光を看る
疑うらくは是れ 地上の霜かと
頭を挙げて 山月を望み
頭を低(た)れて 故郷を思う

日本でも、阿倍仲麻呂(698~770)が、異国の月を見て故郷を思い出していますね。

天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも(『古今和歌集』巻9・羈旅)

仲麻呂は遣唐学生として16歳で渡唐し、30数年後ついに日本に帰ることになった際、明州の海辺でこの歌を詠んだとされています。異国で見る月が、実は故郷の三笠山からのぼった月と同じなんだなぁとしみじみ思います。ところが、仲麻呂の乗った船は暴風に遭って安南に漂着し、再び唐に戻ることになります。結局、帰朝が叶わず、約15年後に73歳で没するまで、仲麻呂は幾度となくかの地で月を見ては故郷を思い出したことでしょう。

『源氏物語』須磨巻でも、月が望郷の念を掻きたてるものとして描かれています。光源氏は朧月夜との一件で政治的に失脚し、流罪などこれ以上悪い状況に追い込まれるのを回避すべく須磨に自主退去しますが、須磨の地で十五夜の月を見て宮中の遊びを懐かしく思っています。そして、都に残してきた大切な人たちもまた、この月を眺めているであろうと、月をじっと見つめずにはいられないのでした。

月のいとはなやかにさし出でたるに、今宵は十五夜なりけりと思し出でて、殿上の御遊び恋しく、所々眺め給ふらむかしと思ひやり給ふにつけても、月の顔のみまもられ給ふ。

時代は下り、野口雨情・作詞の「十五夜お月さん」(本居長世・作曲、大正9年「金の船」に発表)では、月を見てもう一度お母さんに逢いたいなと、月に語りかけています。

十五夜お月さん 母さんに
も一度
わたしは逢ひたいな

野口雨情は、明治44年の秋に母を亡くしています。雨情29歳の時のことです。幾つになっても、また、母の死から何年を経ても、母のことは忘れがたかったのでしょう。それが、幼くして母を亡くした子どもの話と結びつき、この童謡が誕生しました。

月を見ると、故郷や親しい人のことが思い起こされるというのは、誰しも共感できるのではないでしょうか。

さて、『竹取物語』では、かぐや姫が月に還る場面で、翁と嫗へ手紙をしたためますが、そこには、「月の出でたらむ夜は見おこせ給へ」とありました。「月が出ているような夜は、月を見てください」―翁や嫗には何とも残酷な言葉ですね。かぐや姫は、天の羽衣を着たとたん、「翁をいとほし、愛(かな)しと思しつることも失せぬ」であるのに、翁や嫗はかぐや姫を忘れることなどできないのですから。月を見るたびにかぐや姫を失った哀しみが増すだろうから、もう月を見たくないと思ったかもしれません。

月が出た夜は月を見てほしいということは、月を見たら私を思い出してほしい。月に私がいるということを忘れないでほしい、ということです。自分が喜怒哀楽の感情と記憶を失ったとしても、かぐや姫は翁や嫗の心の中に生き続けることを願ったのです。

(し)
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