短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(132) 樹下で泣く女性

15.04.20

『丹後国風土記(逸文)』では、「奈具(なぐ)の社(やしろ)」にまつわる羽衣伝承を伝えています。

昔、丹波の郡にある比治山の頂に「真奈井」という泉があり、そこに八人の天女が舞い降りて水浴びをしていましたが、一人だけ和奈佐の老夫婦に衣装を隠され、天に戻ることができませんでした。子どものいない老夫婦に娘になってほしいと懇願され、天女は人間界に留まり、老夫婦と暮らします。一緒に暮らすこと十年余、天女は、一杯飲んだけで万病が癒えるという酒を醸して、老夫婦の家を豊かにしましたが、老夫婦は「汝は吾が兒にあらず。(お前は私の子ではない)」と言って追い出してしまいました。このあたりは、小川未明の「赤い蝋燭と人魚」(大正10年)を思い起こさせますね。

さて、人間界に長くいたため、天女はもはや天に戻ることができません。天女は比治の里を出てゆき、彼方此方の村々を流離いますが、哭木(なきき)の村に行き、「槻の木に據りて哭きき」――槻の木に凭れて泣きます。その後、舟木の里の奈具の村に至り、「我が心なぐしく成りぬ(安らかになりました)」と言って、この村に留まったそうです。最後は天女が村人たちによって豊宇賀能売命(とようかのめのみこと)として祀られたという、奈具神社の縁起となっています。

天女は槻の木によりかかり泣いた後、心に平穏を取り戻し、奈具神社の祭神となったのですから、「槻の木」には心を癒す力がありそうです。

樹の下で嘆く女性で思い起こされるのが、『源氏物語』の浮舟です。自死を決意した浮舟は、宇治川に身を投げようと決意しますが、死ぬことができず、宇治院の「森かと見ゆる木の下」でうずくまっているところを、横川の僧都らによって発見されました。

(浮舟の)髪は長く艶々として、大きなる木の根のいと荒々しきに寄りゐて、いみじう泣く。

その後、浮舟は横川の僧都や妹尼によって助けられ、出家します。出家によって心の平安が得られたとは言い難いのですが、浮舟は死ぬことなく生きたまま物語が終わります。

樹下にうずくまり泣く浮舟が、「奈具の社」の天女と重なります。どちらも樹木に凭れかかって泣く姿が印象的です。一方は天女で神として神社に祀られ、一方は生身の人間で出家し仏道修行に励みました。

樹木は、ミルチャ・エリアーデが言うように、天・地・地下を結びつけていることから、他界との交通が可能になる場所であり、境界を示すものです。また、「死と再生」の象徴ともされます。

仏教の世界では、無憂樹・菩提樹・沙羅双樹など樹木は釈迦の生涯と関わります。
・無憂樹――釈迦の母摩耶夫人が藍毘尼園においてこの木の花を摘もうとしたとき、釈迦が右脇から生まれました。
・菩提樹――釈迦がその木の下で悟りを開いたとされる樹木です。
・沙羅双樹――沙羅双樹の下で、釈迦は八十歳の生涯を終え涅槃に入ります。沙羅双樹は、釈迦の横たわる四方に植えられた二股の樹で、釈迦が亡くなるといっせいに白く枯れてその遺骸を覆ったそうです。

天女も浮舟も樹下で生きていく力を得たのかもしれませんね。

(し)
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