短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(131) 江戸の珍談・奇談(14)

15.03.31

『徒然草』第135段に古来意味不明とされる個所を含む文章がある。

資季(すけすえ)大納言入道が若い具氏(ともうじ)宰相中将に会って、「何でも答えてやるから言ってみろ」と挑発する。具氏は、「専門的な事柄は学んでいませんから、伺うまでに至りません。つまらないことの中で分からないことをお尋ねしましょう」と謙虚に言った。資季は図に乗って「卑近なことならなおさらだ。どんなことでもお答えしよう」と胸をそらす。周囲で聞いていた女房たちが、「どうせなら御前で決着をつけたらいいでしょう。負けたほうが奢るのですよ」と、火に油を注いだため、事が大きくなってしまう。具氏が幼い時から耳にして意味の分からない謎を問いかけると、資季は答えに窮し、「そんなくだらないことは取り上げるまでもないことだ」と強弁したものの、具氏が「学問上のことではなく、こういうくだらないことをお尋ねしてよいとお約束しました」と畳みかけた。資季の負けは言うまでもない。ご馳走をたっぷり振る舞う羽目になったという。

さて、その謎であるが、「むまのきつりやうきつにのをかなかくぼれいりくれんとう」というものだ。この解について、様々な説が古来出されている。中でも出色の説を紹介しよう。

『徒然草』から約450年後の享和元年-1801-に成った『閑田耕筆』(伴蒿蹊著)では、こう説明している。まず、「馬のきつ」を「馬」の語を取り除く「除きつ」の意とする。次いで「りやうきつにのをか」の9文字のうち、「り」と「か」を除く中の7文字を取り除けるのが「中くぼれいり」である。末尾の「ぐれんどう」とは顚倒のことだから、残った「りか」を逆さまにして「かり(雁)」となるというものだ。

「中くぼれいり」を中にある文字を除去するという意味に解したのだが、ここがちょっと引っかかる。伴自身も「いひまぎらはしたるなり」と苦しい説明をした。だが、『山海経』だの何だのと難しい漢籍を引いて解こうとするものに比べれば、よほどすっきりしている。山崎美成『三養雑記』にも「閑田耕筆に解きたるを併せて明解といふべし」(巻之一、『日本随筆大成』第Ⅱ期6所収、81ページ)と評価し、江戸期の児童が弄ぶなぞなぞから同趣の例を引いてくれている。すなわち、「厠(かわや)のわきにて、狐こんと啼く、それは空言(そらごと)よ。耳のなきみみづくがもんどりをうつ」というものだが、「厠のわきにて、狐こんと啼く」までは「空言よ」とある通り、意味がないというのだから略してよい。「耳のなきみみづく」は「みみづく」から「みみ」を引き去る。すると「づく」となるから、それを「もんどりをうつ」、つまり顚倒すれば「くづ(屑)」となるというわけだ。

安良岡康作『徒然草全注釈』には、伴説の驥尾に付して、「中くぼ」を「きつにのをか」のうち「つにのを」4文字を除くことだとし、残る「きか」2文字に、「れいり」を「れ入り」として「きれか」とする。それがひっくり返れば「かれき(枯木)」となるという新説が紹介されている。この妙案は、安良岡の助手を務めていた妻女が発案したものだという(全注釈上巻564ページ下段)。

具氏宰相中将の時代から意味が分からなくなっていた謎である。現代人に解明しようもなかろうが、挑戦してみるのも面白いだろう。
山崎はまた、かつて聞いたことがあるとしながら、「こばたひつくりかへして七月半」を「たばこぼん」、「雀が利を持ちながら目をぬかれ、されども子をば羽の下にあり」を「硯ばこ」などの例を挙げてくれた。「こばた」をひっくり返して「たばこ」、「七月半」だから盆である。「雀」が「利」を持つと「すずめり」、「目」を抜かれて「すずり」、さらに「子をば羽の下」に置けば「ばこ」だから、合わせて「硯箱」となる。

いかにも時間の流れがゆったりとした時代の悠長な言葉遊びである。それでは、ここで『後奈良院御撰何曾』(永正13年-1561-)から一つ問題を差し上げよう。「上をみれば下にあり、下をみれば上にあり、母の腹を通りて子の肩にあり」これ何だ。答えは次回に。

(G)
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