短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(114) 醍醐天皇とティンゴッチョ

14.07.06

『道賢上人冥土記(どうけんしょうにんめいどき)』(『扶桑略記』所収)には、道賢(905~85)が、天慶4年(941)に冥界に行き戻ってきた話を載せています。いわゆる臨死体験談でしょうか。道賢は、金峰山(きんぷせん)で修行中、息が絶え、冥界に行きますが、そこで日本太政威徳天となった菅原道真に会います。その後、道真を左遷した醍醐天皇と三人の君臣が地獄の責め苦にあえいでいる姿も目にします。鐵窟の茅屋で、醍醐天皇は僅かばかりの衣をまとい、その姿はまるで灰燼のようでした。

…復至鐵窟、有一茅屋。其中居四箇人、其形如灰燼。一人有衣、僅覆背上。三人裸袒、蹲踞赤灰。獄領曰「有衣一人、上人本國延喜帝王也。餘裸三人、其臣也。君臣共受苦。」…

醍醐天皇は「我が苦しみを救済すべく、一万の卒塔婆を立てるよう、藤原忠平に告げてほしい」と道賢に訴えるのでした。十三日目に道賢は蘇生し、これらの話を伝えたということです。道真が政治的に失脚し失意のまま亡くなったことによって、その原因を作った醍醐天皇が地獄に堕ちたとする話は人の怨みの強さや恐ろしさを感じさせると同時に、このような話から地獄の風景が人々に浸透していったのだと思われます。修行僧の臨死体験なら当時の人々も信用したのではないでしょうか。

さて、『デカメロン』の第7日第10話にも、やはり地獄を見た男の話が載っています。ティンゴッチョという男は、アンブルオージョとミータ夫人の間に生まれた子どもの名付親となったことがきっかけで、ミータ夫人と懇ろになります。ティンゴッチョは、あまりにもミータ夫人のところに頻繁に通い詰めたせいか、体力を使い果たしてしまい、あっけなく死んでしまいます。死後三日ほどたった夜、ティンゴッチョは仲間のメウッチョの寝室に現われ、あの世の様子を語ります。

あの世に着いた後、ティンゴッチョは地獄の苦しみを体験しますが、名付子の母親(ミータ夫人)としでかしたことを思い出して、これまで受けた罰よりももっと厳しい罰を受けるのではないかと、恐怖にがたがた震えたと言います。隣で火に焼かれている男に、震えている理由を尋ねられ、「俺は自分の名付子の母親と寝てしまった。あんまり何度も同衾したものだから、皮がこすれてすっかり剝けてしまった」と答えます。するとその男は嘲りながら、「おい、馬鹿みたいな事をいうな。名付子の母親と通じたくらいの事をここで一々勘定に入れるものか。余計な気苦労はよせ」と言ったので、ティンゴッチョはすっかり安心したそうです。

冥界の様子を伝えていることや、ティンゴッチョがメウッチョに「俺のためにミサをあげ、お祈りを唱えてもらいたい。また喜捨をしてくれればあの世の人たちはたいへん助かる」と言っていることも、『道賢上人冥土記』とよく似ています。しかし、醍醐天皇が地獄に堕ちたのは政治的な事柄が原因であるのに対し、ティンゴッチョは不倫によって地獄の責め苦を受けるのではないかと恐怖したとあります。しかも、名付子の母親と通じたくらいでは罪の勘定に入らないと。同じ地獄に行った話でも、その内容は大きく異なります。

小さい頃から、「悪いことをしたら地獄に堕ちる」と親や祖父母に言われて育ちました。未だに地獄は怖いものとして、自分の行動を規制するものになっています。最近の若い皆さんはどうですか?

(し)
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