短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(89) シビ王とアンパンマン

13.10.20

釈迦の前世の物語、ジャータカには、釈迦がシビ王であった時の話があります。平安時代の仏教説話集『三宝絵』にも収められているので、そちらでお話を紹介しましょう。

昔、シビ(尸毗)王という、慈悲深い国王がいました。帝釈天はシビ王の心を試そうとして鷹に身を変え、毗首羯磨(びしゅかつま)天には鳩になるように言います。

鷹(帝釈天)に追われた鳩(毗首羯磨天)がシビ王の懐に入りました。鷹が「私に鳩をお返しください」と言うと、王は「衆生(生き物)を救いたい気持ちがあるので、返すことはできません」と言います。すると、鷹は「私も衆生です。どうして今日の私の食べ物を奪いなさるのですか?」と訴えました。そこで、王は、鳩の命も救いたいし、鷹の飢えも助けたいと思って、自分の肉を刀で切って鷹に与えました。

ところが、鷹はさらに「鳩と同じ重さの肉がほしい」と要求します。王は、斤(秤の意)で自分の肉を量って鷹に与えようとしますが、不思議なことに鳩はますます重くなってゆきます。とうとう自分の肉だけでは足りず、王は自分の体全体を斤(秤)に乗せようとしました。

シビ王の慈悲の心が分かったので、鷹は帝釈天の姿に戻り、王に「痛く苦しいだろうに、悔いる心はあるか」と尋ねると、「深く喜ぶ心だけがあります。全く悔いる気持ちはありません」と王が答えました。「本当か?どうやってこのことを証明するのか」と尋ねる帝釈天に、シビ王は「今、自分の身を捨てて仏道を求めるに際して、私に偽りの心がなければ、私の体をもとに戻してください」と言います。帝釈天が天の薬をシビ王に注ぐと、王は元の姿に戻りました。

自分の身を犠牲にして与えることで、満ち足りた気持ちになったというシビ王の姿は極端かもしれませんが、与える喜びや慈悲の心を持つことの大切さを教えてくれます。

自分の体を与えて生きとし生けるものを飢えから救うといったキャラクターは、現代にもいます。そうです。やなせたかしさんが考案されたアンパンマンも、飢えて困った人に、あんパンでできた頭部の一部をちぎって分け与えます。

ご存じのように、アンパンマンの原点は、やなせさんの従軍体験にあると言われています。真の正義とは飢えさせないこと。また、真の正義はかっこいいものではなく、そのために自分も深く傷つくものだとやなせさんは仰っています。自分も痛みを伴ってこそ、自己犠牲を払って初めて人を助けることができるのだ、ということです。

シビ王の慈悲の心は、アンパンマンに受け継がれていました。時雨れる日には、童心に返って、アンパンマンの絵本を読んでみてはいかが。心が温まります。

(し)
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