(87) 予言の物語
13.09.30
『うつほ物語』は、予言に導かれて俊蔭一族のストーリーが展開してゆきます。清原俊蔭は、波斯国(=ペルシャ)西方で、将来「天女の行く末の子」になるという運命を獲得し、さらに忉利天の天女からは俊蔭が七絃琴の家の始祖になるという予言を、仏からは俊蔭の三代の孫が「七人の人(=天女の子)」の生まれ変わりで「果報豊かなるべし」という予言を受けます。
これらはどれも仏教による予言であり、物語の展開に「授記(=予言。過去世において過去仏が修行者に対して未来の世において必ず仏となることを予言し保証を与えること。)」が深く関わっていると考えられます。物語では実際に予言どおりに展開していくので、現代の読者にとっては、今後の展開が予測でき、「なーんだ、面白くない」と感じるかもしれません。
『源氏物語』でも、光源氏の将来について三つの予言がなされ、この予言通りに物語は展開してゆきます。
一、光源氏は帝王になる相があるが、そうなると世が乱れることもある。しかし、臣下として国の要になるといった相でもないという予言(高麗人の相人・倭相によるもの、桐壺巻)。
二、予想に反して「違ひ目」があり、謹慎しなくてはならないことがあるという予言(光源氏のみた夢を夢解きしたもの、若紫巻)。
三、光源氏の子どもは生涯に三人という予言(宿曜によるもの、澪標巻)。
これらの予言は、観相・宿曜の占い・夢占といった様々な信仰によってなされていますが、物語の中ですべて予言通りになっていることから、光源氏の将来を規制する働きを持っていたと言えます。
世界に誇れる二つの日本の長編物語が予言に導かれてストーリーが進行してゆくことは、当時の物語観や世界観を知る上で非常に興味深いですね。
王朝物語は予言によって結末が何となく予測できてしまいますが、自分の人生には、最後に何か大きなどんでん返しがあるといいなぁ…なんて、思ってしまいます。どんでん返しや一発逆転ホームランがあるかどうか分かりませんが、それを密かに期待しながら毎日過ごしているのが人間かもしれませんね。