短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(83) お母さんに会いたい

13.08.15

『源氏物語』第3部のヒロイン・浮舟は、薫、匂宮との三角関係に疲れ果て、宇治川に身投げしようとしますが、未遂に終わり、横川の僧都に助けられます。さまざまなことに翻弄された過去と、女の身を持つ煩わしさから逃れようと出家を決意します。その朝、浮舟は鶏の鳴き声を聞き、これがお母様のお声を聞くのだったらどんなに嬉しいだろうと思います。

からうじて鶏の鳴くを聞きて、いとうれし。母の御声を聞きたらむは、ましていかならむと思ひ明かして…(手習巻)[新全集⑥332頁]

薫は浮舟が死んだと思い、彼女の一周忌の法要を営むことにします。その話を人から聞かされた時も、浮舟は、母君がどんなお気持ちでいられるだろうと思います。娘の亡骸がないまま、一周忌を迎える母の気持ちを思いやってのことです。

その後、浮舟が生きていることを知った薫は、浮舟の弟・小君を使者として小野に派遣しますが、浮舟は小君にも会おうとはしません。「お人違いでしょう」と、弟との面会を頑なに拒み、「お会いしたいのは母君だけ」と思います。

「…かの人(=母)もし世にものしたまはば、それ一人になん対面せまほしく思ひはべる。」(夢浮橋巻)[新全集③389頁]

出家後も、浮舟は匂宮や薫との過去を思い出して、煩悶したり懐かしく思ったりし、揺れ動きますが、決して連絡をとろうとはしませんでした。最後まで気になり、会いたいと思ったのは、母君ただ一人でした。ご存じのように、浮舟は母と再会することなく物語は終わっています。

さて、『栄花物語』にも、「お母さんに会いたい」と言った娘の話があります。藤原長家(道長の子ども)と結婚した、藤原行成の娘です。行成の娘は12歳の時、15歳の長家と結婚しますが、結婚生活僅か3年で病気となり、あっけなく亡くなってしまいます。臨終の時、夫の長家は妻の手をとらえ、「何ごとか思しめす、のたまふべきことやある」と聞きますが、妻の口から出たのは「母はいづらいづら」という言葉でした。母は駆けつけ、しっかりと娘を抱きしめたのでした(巻16「もとのしづく」)。

結婚してもなお、最期の時には「お母さんはどこ?どこ?」という娘。息子が幾つになっても母を求めるのはよく見聞きしますが、乳母制度のあった時代であっても、平安貴族の娘にとっても、「母」は特別な存在であったことが分かります。

私事ですが、母方の祖母が76歳で亡くなった時、遺品の中から「いっぺんでいいから、死んだお母さんに会いたい」と書かれた紙切れが見つかりました。三十年が経ち、その祖母の娘は恍惚の人となりましたが、「久しぶりにお母さんの夢を見たがやぜ。お母さんの作ってくれた南瓜の煮物、美味しかったぁー」と言います。

いつの時代も、どのような身分・立場であっても、また、たとえお母さんが亡くなっていたとしても、母を知らなくても「お母さんに会いたい」――この気持ちは普遍的にあるものなのでしょう。

(し)
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