短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(82) 三遊亭圓朝『怪談 牡丹燈籠』(2)

13.08.05

その百両は、幽霊がお露の父飯島の所へ忍び入って調達した。守り本尊はというと、お経ばかり読んでいて汗臭いからと、新三郎に行水を使わせている間に伴蔵とおみねがすり替えてしまったのである。萩原がもし死んだら、金無垢の行方に嫌疑がかかることを恐れ、畑に埋めて印を立てておき、ほとぼりが冷めたころ掘り出しに来ることにした。

八の鐘が忍ケ岡に響くころ、例の幽霊たちが現れ、伴蔵に約束の百両を渡す。そこで萩原の裏窓に貼ったお札をはがしてやると、二人は嬉しそうに中へ入った。

一旦家へ戻った伴蔵は、おみねに様子を見にやられる。ずいぶんと長くかかってようやく戻った伴蔵はおみねを伴って、今一度様子を見に赴く。床の中を差し覗き、恐ろしくなった伴蔵は、二人だけの目撃では嫌疑がかかると思い、立会いを依頼するため、白翁堂を呼びに走る。

白翁堂が恐る恐る寝所をまくり上げれば、新三郎は虚空をつかみ、歯を食いしばり、余程の苦しみをして死んだ様子。脇に髑髏があり、手が萩原の首にからみついている。萩原の首にかけた守り本尊はどうかと確かめると、金無垢だったはずが、瓦に赤銅箔を置いた土の不動と化していた。

白翁堂は、海音如来を紛失した経過を報告しに良石和尚を訪れる。事情をすでに察している和尚は、如来は来年の八月にきっと出るから心配するなと言い、萩原とお露とを並べて供養するよう白翁堂に指示を与えた。

伴蔵は自分の悪事を隠そうとして、直ちに逐電しようとしたが、それでは疑いが増すと判断し、一計を案じた。萩原の所へ現れる幽霊を見ると三日で死ぬなどと言いふらしたから、尾ひれが付いて、散り散りに人が引っ越してしまう。白翁堂さえ神田へ移った。それをよい機会に伴蔵とおみねは、幽霊からせしめた百両を懐に、伴蔵の生れ故郷である栗橋へ引き移った。

夏になると、納涼のために怪談が登場する。この牡丹燈籠も、かつてはしばしば映画やドラマとなった。そのクライマックスといえば、駒下駄を鳴らして幽霊がやってくる場面だろう。圓朝の口演を下に引くから、できれば音読してその雰囲気を味わってみていただきたい。お札を貼りめぐらした新三郎の家へ幽霊が訪れて来るところだ。

其の中上野の夜の八ツの鐘(かね)がボーンと忍ケ岡(しのぶがおか)の池に響き、向ヶ岡(むこうがおか)の清水の流れる音がそよそよと聞え、山に当る秋風の音ばかりで、陰々寂寞(せきばく)世間がしんとすると、いつもに変らず根津の清水の下(もと)から駒下駄の音高くカランコロンカランコロンとするから、新三郎は心のうちで、ソラ来たと小さくかたまり、額から腮(あご)へかけて膏汗(あぶらあせ)を流し、一生懸命一心不乱に雨宝陀羅尼経(うほうだらにきゃう)を読誦して居(ゐ)ると、駒下駄の音が生垣の元でぱったり止みましたから、新三郎は止せばいいに念仏を唱へながら蚊帳を出て、そつと戸の節穴から覗いて見ると、いつもの通り牡丹の花の燈籠を下げて米が先へ立ち、後(あと)には髪を文金の高髷に結ひ上げ、秋草色染の振袖に燃えるやうな緋縮緬の長襦袢、其の綺麗なこと云ふばかりもなく、綺麗ほど猶怖(こは)く、これが幽霊かと思へば、萩原は此世からなる焦熱地獄に落ちたる苦しみです、萩原の家(うち)は四方八方にお札が貼つてあるので、二人の幽霊が臆して後へ下り、米「嬢さまとても入(はい)れません、萩原さんはお心変りが遊ばしまして、昨晩のお言葉と違ひ、貴方を入れないやうに戸締りがつきましたから、迚(とて)も入ることは出来ませんからお諦め遊ばしませ、心の変つた男は迚も入れる気遣(きづかひ)はありません、心の腐った男はお諦めあそばせ。と慰むれば、嬢「あれ程迄にお約束をしたのに、今夜に限り戸締りをするのは、男の心と秋の空、変り果てたる萩原様のお心が情けない、米や、どうぞ萩原様に逢はせておくれ、逢はせてくれなければ私は帰らないよ。と振袖を顔に当て、潸々(さめざめ)と泣く様子は、美しくもあり又物凄くもあるから、新三郎は何も云はず、只南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。米「お嬢様、あなたが是程までに慕ふのに、萩原様にやアあんまりなお方ではございませんか、若しや裏口から這入(はい)れないものでもありますまい、入らっしゃい。と手を取つて裏口へ廻つたが矢張(やつぱり)入られません。(岩波文庫、54~55ページ)

(G)
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