短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(81) 妻争い①

13.07.30

中大兄皇子(なかのおおえのおうじ。後の天智天皇。626~671)の歌に、大和三山を詠んだ歌があります。

香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相あらそひき 神代より かくにあるらし 古昔(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 嬬(つま)を あらそふらしき(『万葉集』巻1・13番歌)

「畝火ををし」の「ををし」をどのように解釈するかで、歌の意味が変わります。「ををし」を「雄々し」、男らしいと解釈すると、香具山(女)は畝傍山(男)に心変わりして、恋仲だった耳梨山(男)ともめたということになります。香具山(女)が畝傍山(男)を男らしいと思い、耳梨山(女)と争ったとも考えられますが、これですと、後にある「うつせみも 嬬をあらそふらしき」がすっきりしません。

また、「愛し」と解釈すると、香具山(男)は、畝火山(女)をいとしいと思って、耳梨山(男)と争ったとなります。

いずれにしても、一人の人を複数の異性が争ったという構図です。神代から三角関係は存在したことになります。

さて、後世の人々は、この大和三山を、中大兄皇子、大海人皇子(おおあまのおうじ。後の天武天皇。~686)、額田王(ぬかたのおおきみ。生没年不詳。)に当てはめて考えました。額田王は初め、大海人皇子から寵愛され、十市皇女(とおちのひめみこ)という娘まで儲けていますが、その後、大海人の兄である中大兄からも愛されたとされています。サラブレッド(皇統)の兄弟から愛されたとなると、額田王はずいぶん魅力的な女性だったのでしょう。

ひとりの女性をめぐって複数の男性が争うことを「妻争い」と言っています。「神代だって妻争いがあったのだから、現実の人間だって当然、妻争いをするさ」という中大兄の歌は、妙に納得させられます。

このモチーフは近代小説や現代小説でもよく見受けられますが、よく知られているのが夏目漱石の『こころ』や『それから』です。妻争いの物語は、何千年経っても色あせることなく、様々な語り口で語り継がれてゆくことでしょう。

ところで、中大兄皇子の妻争いの歌では、その後、この三角関係がどのように決着したかまでは歌われていません。しかし、菟原処女(うないおとめ)の伝説では、二人の男性から求愛された菟原処女はどちらか一方を選びきれず、自らの命を絶ってしまいます。過激に感じるかもしれませんが、「妻争い」が自死、しかも「入水」に結びついて、文学の重要なテーマとなり、日本人に愛好されたことを、次回ご紹介したいと思います。

(し)
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