短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(70) 花・紅葉の紛れ

13.03.23

『源氏物語』薄雲巻で、37歳という厄年の藤壺は病気になり、春にこの世を去っています。最愛の女性、藤壺を亡くした光源氏(32歳)の眼前には、無常にも二条院の桜が美しく咲いていました。

二条院の御前の桜を御覧じても、花の宴の折など思し出づ。光源氏「今年ばかりは」と、一人ごちたまひて、…(花宴巻)

「花の宴」とは、光源氏20歳の時の「南殿の桜(=紫宸殿の前にある左近の桜)の宴」を指し、この時、光源氏は藤壺の前で「春鶯囀」という舞を披露しています。藤壺は、「おほかたに花の姿をみましかば露も心のおかれましやは(独詠歌:もしも世間の人並に、この花のような光源氏のお姿を見るのであったら、露ほどの気兼ねもなく心ゆくまで賞賛することができたであろうに)」と、夕日に映える光源氏の舞姿を桜にたとえました。光源氏は、この花の宴の光景を藤壺の思い出として後々まで深く心に留めていたことになります。

また、「今年ばかりは」は、「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け(深草の野辺に咲く桜に心があるならば、今年だけは喪服の墨色に咲いてくれ。)」(『古今集』巻一六・哀傷・八三六・上野岑雄)という歌を踏まえています。辺り一面の墨染めの桜を思い浮かべると、光源氏の深い悲しみがよく伝わってきます。

落花の紛れには不思議な力が働くようで、古くより「死」と結びついてきました。藤壺も、落花に紛れて他界してしまったかのような印象を受けますね。実は、落花に紛れて死ぬといった発想は、奈良時代からありました。

世間は数なきものか春花の散りの乱ひに死ぬべき思へば(『万葉集』巻17・3963・大伴家持)

当時、落花の頃には疫病が流行すると考えられ、厄よけのために「鎮花祭(はなしずめのまつり)」が行われていました。

一方、物語では、紅葉の散る中から、光源氏が立ち現れる姿も描かれています。紅葉賀巻で、朱雀院行幸の日、光源氏は頭中将と二人で「青海波」という舞を舞っています。

木高き紅葉の蔭に、四十人の垣代いひ知らず吹きたてたる物の音どもにあひたる松風、まことの深山おろしと聞こえて吹きまよひ、色々に散りかふ木の葉の中より、青海波のかかやき出でたるさま、いと恐ろしきまで見ゆ。

紅葉の木陰で奏楽する四〇人の垣代(楽人の意)、そして、色とりどりの紅葉が散り交う中から青海波を舞い出た光源氏の姿は、「いと恐ろしきまで見ゆ」「そぞろ寒くこの世のことともおぼえず」と表現され、恐ろしいほどまでに美しいとあります。神懸かった光源氏の舞姿は、舞い散る紅葉の中から神そのものが立ち現れたかのようにも感じられますね。

花・紅葉が散るのに紛れて人が姿を隠したり、立ち現れたり…。文学の世界でも、花・紅葉の紛れは、幻想的な空間を創り出しています。

その最たるものが、坂口安吾の「桜の森の満開の下」でしょう。少々長いですが、最後の場面をご紹介いたします。

そして桜の森が彼の現前に現れてきました。まさしく一面の満開でした。風に吹かれた花びらがパラパラと落ちています。土肌の上には一面に花びらがしかれていました。この花びらはどこから落ちてきたのだろう? なぜなら、花びらの一ひらが落ちたとも思われぬ満開の花のふさが見はるかす頭上にひろがっているからでした。男は満開の花の下へ歩きこみました。あたりはひっそりと、だんだん冷めたくなるようでした。彼はふと女の手が冷めたくなっているのに気がつきました。俄かに不安になりました。とっさに彼は分りました。女が鬼であることを。突然どッという冷めたい風が花の下の四方の涯から吹きよせていました。

彼の呼吸はとまりました。彼の力も、彼の思念も、すべてが同時にとまりました。女の屍体の上には、すでに幾つかの桜の花びらが落ちてきました。彼は女をゆさぶりました。呼びました。抱きました。徒労でした。彼はワッと泣きふしました。たぶん彼がこの山に住みついてから、この日まで、泣いたことはなかったのでしょう。そして彼が自然に我にかえったとき、彼の背には白い花びらがつもっていました。

桜の森の満開の下の秘密は誰にも今も分りません。あるいは「孤独」というものであったかも知れません。なぜなら、男はもはや孤独を怖れる必要がなかったのです。彼自らが孤独自体でありました。彼は始めて四方を見廻しました。頭上に花がありました。その下にひっそりと無限の虚空がみちていました。ひそひそと花が降ります。それだけのことです。外には何の秘密もないのでした。…

彼は女の顔の上の花びらをとってやろうとしました。彼の手が女の顔にとどこうとした時に、何か変ったことが起きたように思われました。すると、彼の手の下には降りつもった花びらばかりで、女の姿は掻き消えてただ幾つかの花びらになっていました。そして、その花びらを掻き分けようとした彼の手も彼の身体も、延した時にはもはや消えていました。あとの花びらと、冷めたい虚空ばかりがはりつめているばかりでした

ひそひそと降る花と無限の虚空が、読者を幻想的な世界へと誘います。さて、今年の桜の紛れに、皆さんは何を幻視されるでしょうか。

(し)
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