短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(61)「暮れ果つる日」

12.12.24

『蜻蛉日記』は、ご存じのように、藤原道綱の母の21年に及ぶ生活が書き綴られていますが、その中心は夫・藤原兼家との「はかない結婚生活」にあります。きっと嬉しいことや楽しいこともあったはずなのに、「かわいそうで哀れな自分」と夫への不満ばかりを抽出し、日記に書きました。

『蜻蛉日記』中巻の終わりは、天禄2年(971)の「年の暮れ」のことが書かれています。道綱の母は、兼家が愛人のところへ通っていると耳にし、周囲が追儺で大騒ぎしているのを「追儺って、うまくいっているところだけがしたがりそうな行事ね」と思います。そして、「年の終はりには、何事につけても、思ひ残さざりけむかし。」――年の終わりは、何につけてもあらゆる物思いを尽くしたことだろうなあと、寂寞の中に身を置いています。

※追儺(ついな)は「鬼やらい」とも。節分の豆まきのルーツで、もとは大晦日の夜に悪鬼や厄災を追い払って新年を迎える宮中の年中行事でした。

『蜻蛉日記』下巻の最後も、作者39歳の大晦日で締め括られます。兼家の訪れもぱったりなくなり、道綱の母は年の暮れを寂しく静かに迎えました。

…暮れ果つる日にはなりにけり。…思へば、かう長らへ、今日になりにけるも、あさましう、御魂など見るにも、例の尽きせぬことにおぼほれてぞ、果てにける。京の果てなれば、夜いたう更けてぞ、たたき来なる。

大晦日は死者の霊が訪ねてくる日でもあり、追儺の日でもありました。「たたき来なる」―追儺の人々が門をたたく音を耳にする場面で日記は終わり、この後の道綱の母の人生は綴られていません。尽きることのない物思いをしながら、よくこのように生きながらえて今日の日を迎えたことだと感慨深く思う作者の姿に共感される方も多いでしょう。

同じような風景を『源氏物語』第2部の終わりでも見ることができます。光源氏は最愛の紫の上を亡くし、失意の日々を過ごしました。紫の上との永遠のお別れから一年が過ぎたその年の暮れ、52歳の光源氏には自分の人生の終わりも見えてきたようです。

年暮れぬと思すも心細きに、若宮(匂宮)の「儺やらはむに、音高かるべきこと、何わざをせさせむ」と走り歩きたまふも、をかしき御有様を見ざらむことと、よろづに忍びがたし。(幻巻)

追儺の行事にはしゃぎ走り回る孫の匂宮を見ながら、光源氏は、物思いの多かったこの一年も自分の人生も大晦日の今日終わるのではないかと、しみじみ思います。

もの思ふと 過ぐる月日も 知らぬ間に 年もわが世も 今日や尽きぬる

十二月晦日と自分の人生の終わりを重ね合わせた光源氏。その後、光源氏の死は物語の中で描かれることはありません。悲しく辛いことの多かった人生も今日で終わりと感じる光源氏のこの場面は、万感胸に迫るものがあります。

物みな枯れゆく思いの中、それでもあと一週間もすれば、あらたまの年を迎えます。せめて年の暮れは、古の人々が御霊祭(みたままつり)をしたように、今は亡き大切な人々に心を寄せて静かに過ごしたいものです。

(し)
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