短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(28) 冬来りなば春遠からじ

12.01.06

冬ながら 空より花の 散りくるは 雲のあなたは 春にやあるらむ(『古今和歌集』冬歌・清原深養父)[冬でありながら空から花が降ってくる。雲の向こうは、春なのではないだろうか。]

この歌は、詞書に「雪の降りけるをよみける(雪が降っているのを見て詠んだ歌)」とあり、雪を花に見立てた歌です。現実には寒い冬なのですが、雪の花が降ってくる空を眺め、雲の上は春なのではないかと想像しているのです。とても美しい歌ですね。

雪を花に見立てた歌は古来よりあります。

わが屋前(やど)の 冬木の上に 降る雪を 梅の花かと うち見つるかも(『万葉集』巻8・巨勢宿奈麻呂)

その反対に、花を雪に見立てる歌も多く詠まれて来ました。

わが園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも(『万葉集』巻5・大伴旅人)

さて、冒頭の清原深養父の歌ですが、歌の解釈からは少々飛躍しますが、冬であっても、空の彼方では着々と次の季節、春の準備をしているのだ、と想像が膨らみます。

絵本『葉っぱのフレディ―いのちの旅―』(レオ・バスカーリア作、みらいなな訳、童話社)からも、同じようなことを教えられます。葉っぱのフレディは死を恐れ、いずれ死んでしまう自分の一生にはどういう意味があるのか、と思います。親友のダニエルがいなくなった次の朝、とうとうフレディも木から離れ、雪の上に舞い落ちます。その時、初めて木の全体の姿を知ったのでした。絵本には、「フレディは知らなかったのですが…」とあり、

冬が終わると春が来て 雪はとけ水になり 枯れ葉のフレディは その水にまじり 土に溶けこんで 木を育てる力になるのです。”いのち”は土や根や木の中の 目にみえないところで 新しい葉っぱを生み出そうと 準備をしています。大自然の設計図は 寸分の狂いもなく”いのち”を変化させつづけているのです。

「今を生きよ」「一瞬一瞬を大切に」という言葉をよく耳にしますが、深養父の歌やフレディから、今、目の前のことに一生懸命取り組むこと、そして折々に合った過ごし方をすることは、(自分が理解していなくても)ちゃんと次の準備をしているということ、自分の養分になったり何かの役に立ったりしているのだ、ということを教えられました。

「冬来りなば 春遠からじ」――これはイギリスの詩人シェリーの『西風に寄する歌』の一節「If winter comes, can spring be far behind ?」に由来するとか。

先人の言葉(文学)から学ぶことは本当にたくさんあります。今年も本との素敵な出会いがありますように。

(し)
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