短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(17)『うつほ物語』と樹下人物図①(俊蔭巻)

11.10.10

『うつほ物語』俊蔭巻で、波斯国(ペルシャ)に漂着した俊蔭が最初に出会ったのは、「三人の人」でした。

清く涼しき林の栴檀のかげに、虎の皮を敷きて、三人の人並びゐて、琴(きん)を弾き遊ぶところ[新編日本古典文学全集①22頁]

「三人の人」は、栴檀の樹の下で、中国の七絃琴を弾いていました。「三人の人」は人間ではなく、仙人だと考えられています。栴檀は白檀の別名で、インドなどに産する香樹です。異国情緒たっぷりですね。

この場面とそっくりな絵があることをご存じですか?正倉院宝物(北倉)の「金銀平文琴」(開元二三年・七三五年、長さ一一四・五センチ、唐で制作)です。金銀平文琴は桐製で、表裏には金銀の平文(=漆塗りの一つ)で様々な文様が施されています。琴の表面の首部には四角形の枠の中に、樹下で三人の仙人が毛皮の上に座り、酒饌(=酒と食物)を囲んで、七絃琴や阮咸(=弦楽器の一つ)を弾いたり、角杯を傾けたりしている図が施されています。このように、樹の下に人がいる図柄を「樹下人物図」と言っています。

『うつほ物語』俊蔭巻の、「三人の人」が樹下で七絃琴を弾く場面と金銀平文琴の図柄とがよく似ていることを、最初に気づいたのは川口久雄氏です(「洞窟の貴女―原型『宇津保物語』の発想」『東洋文庫・東洋学講座報告』一九七三年一〇月)。

残念ながらこの金銀平文琴自体は、嵯峨天皇の時代、弘仁五年(八一四)に、『東大寺献物帳』に記載されている「銀平文琴」が出蔵され、その代替品として同八年(八一七)に納められたもので、『うつほ物語』の作者が実際に目にすることはありませんでした。でも、同じ文様を持つ七絃琴や樹下人物図が当時存在し、知識人に知られていたのでしょう。

正倉院の「金銀山水八卦背八角鏡」には、仙境で仙人が七絃琴を弾き、鳥がその音に聞き入っている図が配されています。菅原道真(八四五~九〇三)の遺品「高士弾琴鏡」(唐時代または平安時代、九世紀、大坂・道明寺天満宮)には、竹林を背景に七絃琴を弾く人物が配されています。『うつほ物語』の栴檀の樹下の「三人の人」は、このような樹下人物図を和文化したものと考えられます。

俊蔭は、この「三人の人」から七絃琴の曲を教えてもらいました。そうです。仙人が琴の先生だったわけです。どんな素敵な曲を習ったかについては、いずれお話ししたいと思います。

皆さんも、樹の下で楽器を演奏する絵をぜひ探してみてくださいね。

(し)
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