(14)『うつほ物語』の唐菓子(吹上上巻)
11.09.16
『うつほ物語』には様々な食べ物が登場します。吹上・上巻を見ると、三月三日の節供に、神南備種松が客人に対して「唐果物(からくだもの)」や「餅」を用意しています。
「唐果物」とは果物ではなく、加工したお菓子「唐菓子(からがし・とうがし・からくだもの)」のことで、奈良・平安時代に中国から伝来しました。その多くは、米や麦を原料とする粉を練って様々な形にし、油で揚げたものです。当時、砂糖はまだないので、今のドーナッツやクッキーほど甘くはないでしょう。
さて、三月三日と言えば「ひな祭り」の日ですが、雛人形を飾るようになったのは江戸時代からです。ですから、『うつほ物語』には雛人形を飾る場面はありません。その日は、曲水の宴(注)をして楽しんだようです。『うつほ物語』のこの場面が曲水の宴であったかどうかは分かりませんが、宴会で唐果物が供されました。
唐果物(からくだもの)の花、いと殊(こと)なり。梅、紅梅、柳、桜、一折敷、藤、躑躅(つつじ)、山吹、一折敷、さては緑の松、五葉、すみひろ、一折敷、その花の色、春の枝に咲きたるに劣らず。[新編日本古典文学全集①391頁]
梅、紅梅、桜、藤、山吹など、いろいろな花の形に作った唐果物が本当に美しいとあります。梅、紅梅、柳、桜を一つの折敷(=へぎを折りめぐらして作った四角な盆。食器などを載せるのに用いる。)に盛っていて、それら唐果物の花の色は、「本物の春の枝に咲いた花にも劣らないほど美しい」とあるので、食紅などで色をつけてあったのでしょうか。
平安時代の『和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)』には、「八種唐菓子」として、梅枝(ばいし)、桃枝(とうし)、餲餬(かっこ)、桂心(けいしん)、黏臍(てんせい)、饆饠(ひちら)、[食+追]子(ついし)、団喜(だんき)の名を載せています。『集古図』で「梅枝」や「桃枝」の形を見ると、確かに枝の形をしていますが、あまり美味しそうには見えません。
『うつほ物語』の花の形をした唐果物は、綺麗に盛りつけられていて、見た目が美しいですね。しかも、四季折々の花の唐果物を作ったようですから、和菓子のルーツと言えましょう。
以前、「中国文明展」(2000年・横浜美術館)で、花型・葉型の「点心」(=小麦粉製のお菓子)(新彊ウイグル自治区トルファン市アスターナ出土・中国歴史博物館蔵)を見ました。小麦粉をこねて型押しをした後に焼いたクッキーみたいなお菓子で、唐の人々に好まれたとか。新彊では死者に供えるために埋葬されたのが、乾燥地帯でしかもドライ菓子であったため、型崩れすることもなく、そのまま残ったようです。花の真ん中にはフルーツをのせたとも言われています。唐果物のルーツでしょう。
『うつほ物語』でも、中国の点心を真似て、花の形の唐果物を登場させたのでしょう。当時、実際にそのような唐果物があったのかどうか。作者の創作でしょうか。それにしても、日本の花の象徴とされる「桜」の形の唐果物を作るなんて、平安人はとても風流ですね。
(注)曲水の宴…古代の年中行事の一つ。陰暦三月上巳(後に三日)に、曲水(=庭園をまがり流れる水)に臨んで、上流から流される杯が自分の前を過ぎないうちに詩歌を作り、杯をとりあげ酒を飲み、また次へ流す遊び。