短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(13) うつけ者を笑う

11.09.09

前回に続いて『醒酔笑』巻之二「躻(うつけ)」から笑話をいくつか。

ある家の主人が銭を庭に埋めて隠す時、「必ず、他の人の目には蛇に見えて、自分が見る時だけ銭になれよ。」と言うのを、こっそり家人が聞いていた。家人は銭を掘り出し、代わりに蛇を入れて置く。後になって例の主人が掘ってみると、蛇が出てくる。「おいおい、俺だ。見忘れたか。」と何度も名乗っていた。〈10話〉

道中、向こうから来る者を見ると、数珠を首にかけ、大きな檜笠をかぶって歩いて来た。間抜けな男がこれを見て、感動の余り手を打って問う。「そなたがかぶっている笠は随分大きいが、どうやってその数珠を首にかけられたのかね。」「いやこれは、まず数珠を首にかけてから笠をかぶったのですよ。」とゆきずりの男が答えれば、「とにかく尋ねてみなければ分からないものだ。」と間抜けな男。〈22話〉

少し頭の足りない男が、人に向かって、「俺は日本一の発明を考え付いたぞ。」と自慢する。「一体何だ。」と問うと、「それはだな、臼で米を搗(つ)くのを見ると、下へ下がる杵(きね)は勿論役に立つが、上へ上がる杵が無駄働きではないか。どうせなら、上にも臼を逆様に吊り下げて、米を入れて搗いたら、両方で精米されるから、杵の上げ下げが無駄になるまいと思いついたのだ。」と男が言い終わらないうちに、「では、吊り下げた臼にどうやって米を入れるのだ。」と問い返すと、「ほんとだ。そこまでは考えなかったな。」〈28話〉

これらは、いずれも頭のネジが一本足りない者の言動を笑い者にする話だ。この手の笑話を聞く者は、自分がそれと同じ仲間にならないとは限らないのに、なぜか自分はバカでないと思っているから安心して笑える。こういう話に余分な解説をしたらつまらない。ただ、次の話となると、ちょっと考えないとその可笑しさが分からないかもしれない。原文のまま紹介しよう。

さるかしこき人、数寄(注1)に行き、路地(注2)へ入りたれば、植ゑたる竹の先を包みたるが何本もあり。つくづく見て、「あら奇特(きどく)や、奇特や。」と感ずる。相客(あひきゃく)不審に思ひ、「何事やらん。」と問うたれば、「そのことよ。あれほど長い竹の先へかかる梯子(はしご)のあったが不思議ぢゃ。」〈25話〉

さる高名な俳優が時代劇に出演していた。撮影所へ入ると、そのつどチョンマゲの鬘をつけるためにかなりの時間を費やす。そこで俳優がしみじみ言うには、「昔の人は大変だなあ。毎日こうしなけりゃならないんだから。」

え? どこが可笑しいのかって? 弱ったな。何を笑うかでその人が分かるという。ゆめご油断召さるな。

(注1)茶道。茶の湯
(注2)茶室の手前に、待合や腰掛などを設けてある庭園。

(G)
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