短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(15)『うつほ物語』の螢①(祭の使巻)

11.09.26

『うつほ物語』には、苦学生、藤原李英(すえふさ)という人物が登場します。彼は、勧学院(=大学別曹の一つ)の西の曹司に住み、周囲から貧窮の身を蔑まれながらも、一心不乱に勉強しました。

> 夏は螢を涼しき袋に多く入れて、書の上に置いてまどろまず、まいて日など白くなれば、窓に向かひて光の見ゆる限り読み、冬は雪をまろがして、そが光に当てて眼のうぐるまで学問をし、[新編日本古典文学全集①487頁]

「夏は螢を生絹(すずし)の薄い袋にたくさん入れて、それを本の上に置いて夜も眠らずに読み、…冬は雪を丸めて、その光で目が引っこむほど勉強した」とあります。

私は雪国で育ちましたので、夜、電気がなくても、雪明りでトイレに行けましたが、さすがに本を読むとなると、目が悪くなりそうです。それに、たくさんの螢をかき集めたとしても、袋に入れたら、果たして本が読めるほど明るいのでしょうか。

実は、これは、中国の車胤(しゃいん)・孫康の「螢雪(けいせつ)」の故事を踏まえています。二人とも貧乏で明かりのための油も買えなかったので、車胤は「夏月は則ち練嚢に数十の螢火を盛りて以て書を照らし」(『晋書』)、孫康は「常に雪に映じて書を読む」(『蒙求』)と、猛勉強をし、ついには高官になったそうです。

唱歌「螢の光」の「螢の光 窓の雪 書読む月日 重ねつつ」は、この螢雪の故事から来ています。今回は、螢に注目してみましょう。佐々木信綱作詞の唱歌「夏は来ぬ」に、「橘の薫る のきばの窓近く 螢飛びかい おこたり諫むる 夏は来ぬ」とあります。これも車胤の故事を踏まえたものです。昔の人は螢を見て、車胤が螢の光で勉強したことを思い出したのです。

たくさんの螢といえば、宮本輝さんの『螢川』(新潮文庫)が思い起こされます。昭和三〇年代の富山が舞台ですが、「いたち川」は四月に大雪が降ると、初夏に大量の螢が見られるということで、主人公の竜夫は銀蔵や栄子、母とともに螢を見にいきます。はたして螢の大群が彼らの眼前に現われました。

螢の大群は、滝壺の底に寂寞と舞う微生物の屍のように、はかりしれない沈黙と死臭を孕んで光の澱(おり)と化し、天空へ天空へと光彩をぼかしながら冷たい火の粉状になって舞いあがっていた。

螢は数条の波のようにゆるやかに動いていた。震えるように発光したかと思うと、力尽きるように萎えていく。そのいつ果てるともない点滅の繰り返しが何万何十万と身を寄せ合って、いま切なく侘しい一塊の生命を形づくっていた。

私はいたち川で螢の大群を目にすることがありませんでしたので、いたち川の螢はほとんど印象に残っていませんが、近所の川の螢なら鮮明に覚えています。三歳の頃、土手はまだセメントで固められていなくて、四季折々の野の花が咲いていました。夏、螢が飛び交う様はとても幻想的で、たくさんの蛍が確かに私の身体を覆ってくれました。

蛍そのものをあまり見かけなくなりましたが、現代は電気のおかげで、夜も本が読めます。老若男女問わず、「眼のうぐるまで」勉強したいものです。

(し)
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