童謡の世界 〜野口雨情としゃぼん玉〜
25.10.19

みなさん、こんにちは!
童謡『しゃぼん玉』はきっとみなさんご存知と思います。

野口雨情作詞、中山晋平作曲のこの歌は、野口雨情の代表作と言えるもので、茨城県北茨城市にある「野口雨情記念館」の表玄関にも、その歌碑が建っています。
(実際にしゃぼん玉が飛んできて出迎えてくれます!)


野口雨情は、1882年、現在の北茨城市に生まれました。(1945年栃木県にて没。)
20歳の頃から詩人として多く活動するようになり、23歳の時には、創作民謡集を日本で初めて発表するなどその才能を開花させていきました。
時代は明治から大正になり、子どもの歌の世界では、子どもたちを優しく育むような曲、子どもたちが自然に口ずさめる歌を作ろうという機運が高まってきた頃。雨情も、たくさんの童謡を発表していきました。

『しゃぼん玉』は1922年、40歳の時の作品です。
しゃぼん玉遊びは江戸時代からあったようですが、石けんが国内でも多く生産されるようになったこの頃、全国で一般的な遊びになりました。
雨情は子どもが無邪気に遊ぶ姿をそのまま捉え、深い愛情と慈悲をもって描いています。
生後まもなく亡くなった我が子への思いを歌ったなどの解釈もありますが、それを示す資料はなく、普遍的なものとしてこの世に偏在する悲しみや切なさを深く感じていた雨情の心がこの詩にも現れていると捉えることができます。
中山晋平のメロディも、♪やねまで〜 まで上昇してしゃぼん玉が飛んでいく様子が表され、♪かーぜかぜ〜 ではこの曲の一番高い音が繰り返されることで子どもたちの純粋な願いの声が聞こえるような感じがします。


100年経った今でも色褪せることなく親しまれ続けている、作詞家、作曲家の丁寧な、想いのこもった曲。こうした背景を知りつつ子どもたちに大切に伝えていきたいものです。


ところで、雨情が活躍した頃、つまり、日本で子どものための、子どもの心を反映した新しい童謡がたくさん生まれていたちょうどその頃、遠く海を隔てたスウェーデンでも、新しい子どもの歌がたくさん作られていました。アリス・テグネール(1864-1943)がその筆頭ですが、テグネールの童謡を日本で広めようという「音楽絵本プロジェクト」が現在児童学科で進行中です!

「音楽絵本プロジェクト」の模様はこちらから!
続きをお楽しみに♪
(児童学科准教授 馬場みどり)
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