(106) 江戸の珍談・奇談(4)
14.04.05
昔、甲斐の国の相撲取りに大井光遠(おおいのみつとお)という、背は低いが力が強く、めっぽう足の速い、容儀立派な男がいた。その偉丈夫に、26・7歳になる物腰も柔らかで姿もほっそりとした妹があった。ある時離れ家に住んでいた妹の所へ押し込み強盗が入り、妹を人質に取り、腹に刀を差し当てて脅す。
兄の光遠に事件発生を人が伝えると、「天下無双の相撲取りである薩摩の氏長ででもなければ人質にはできまい」と答え、悠然として動じない。告げた者は、奇妙に思って妹の家へ取って返す。物蔭から覗けば、薄い一重に紅の袴を着けた妹が怖さからか袖で口を覆っている。その後ろから両足で腰を挟むようにして大男が大刀を逆手に持ち、妹の腹へ当てていた。
妹は、左手で顔を塞いで泣きながら、作りかけの矢柄(=矢の幹)の節の部分を右手の指先で板敷に押し当ててこすり付けている。すると、柔らかい朽木を押し砕くように矢柄が微塵になってしまった。強盗はそれを見て仰天する。
「どんな大力の男だって、金槌でなければこうはいかない。怖ろしい力だ。このままでは俺はひねりつぶされるに違いない。今のうちに逃げよう」と思い、隙を伺って逃走したが、その先に待ち受けていた人々に捕えられてしまった。
連行されて来た強盗に光遠が逃げた理由を問うと、その力の恐ろしさの余り逃げた由を答える。光遠が笑って、「妹は刀に突かれはしない。突こうとする腕を取って、逆にひねり上げ、肩の骨が突き出るほどねじってしまう。お前は腕を抜かれなくて幸運だった。俺だってお前を素手で殺すことぐらいわけはないのだ。もし妹が腕をねじ上げて腹や胸を踏んだら、生きてはいられまい。妹は俺の倍の力を持っている。見かけは細いが、俺が戯れに捕えた腕をちょっと摑んだだけで、痛さにこちらが指を拡げて放してしまうほどだ。男子でなかったのがいかにも惜しい」と言って怯えさせ、さらに、妹が大鹿の角を膝に当てて、細い枯木を折るように折ってしまう、と畳みかけるように強盗の恐怖を煽った。〈『宇治拾遺物語』166、新大系329ページ〉
『宇治拾遺物語』は周知のとおり、鎌倉時代の説話集である。平安末期に成立した『今昔物語集』にもこれと同じ話が載っており、大井光遠は一条天皇時代(在位986~1011)の人物であるから、話材はその辺りまで遡るのかもしれない。
この妹は、自分の怪力に気付いていない風であるところがよい。美貌の裏に隠された意識せざる無双の腕力というのは、読者の意想外に出た魅力ある設定である。同趣の説話に、優男と侮った学生(がくしょう)に意外な怪力を示され、相撲取りが薪のように投げ飛ばされたばかりか、足首をもぎ取られてしまうという話もある〈同、31、新大系69ページ〉。
さて、この種の話題は江戸時代にも受け継がれ、絶えることがない。華奢な美人が怪力を発揮する話を一つ紹介しよう。
江戸音羽町の茶屋石見屋(いわみや)の女房におしげという、物静かで優しい、器量よしの女がいた。石見屋の宝と称せられたこの女は、見かけと異なり怪力の持主であった。それまで他人の目に触れることは絶えてなかったのだが、相撲取りを軽くひねったことから、広く知られるようになる。その頃、同町内に音羽山峰右衛門という相撲の年寄がいた。若手を大勢引き連れて蓮光寺へ繰り出すと、参詣の男女が夥しい。相撲取りどもは若い女を見つけてはからかっている。ちょうどおしげもそこへ参詣していた。相撲取りが近づき、女の尻を撫でる。知らぬふりをしていると増長し、さらに戯れかかる。そこでおしげは相撲取りの手を捕えて膝の下に踏み敷き、力を加えて押さえてしまった。大男の相撲取りは、腕がひしげ、骨が砕けるかと思うほどの圧力に耐えきれない。見る見るうちに男の顔が蒼白となり、額には脂汗がにじむ。涙ぐんで顔をしかめながら苦しがっている。ところが、おしげは顔色一つ変えず、懐から水晶の数珠を取り出し、お題目を唱えて少しも騒がない。群集が男に代わって詫びたため、おしげはようやく解放してやった。〈『当世武野俗談』―『燕石十種』第4巻、117ページ〉
力自慢を売り物にしない奥ゆかしさがこの手の話には必須の要素となる。その点、おしげはクールで恰好いいヒロインだ。