短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(107) 墓に生ふる木

14.04.15

二人の男性から求婚された女性が板挟みとなり、自らの命を絶つという伝説があります。菟原処女伝説もその一つです。菟原(今の兵庫県芦屋市の辺り)の処女(をとめ)をめぐって、千沼壮士(ちぬをとこ)と菟原壮士(うなひをとこ)が争いますが、それを苦にした処女が命を絶ちます。驚くべきことに、二人の男性も後追い自殺をしました。処女の墓を中心に二男性の墓も並び建てられたそうです。

この伝説を田辺福麻呂と高橋虫麻呂が歌に詠みました(『万葉集』巻9、1801~1803番歌が田辺福麻呂歌、1809~1811番歌が高橋虫麻呂歌)。菟原処女伝説がよほどロマンチックだったのでしょうか、それとも福麻呂や虫麻呂の歌が非常に素晴らしかったのでしょうか。その後、天平勝宝2年(750)に、大伴家持も「処女墓の歌に追同」して歌に詠んでいます(巻19、4211~4212番歌)。

歌の中で最も興味を惹かれるのは、生前処女が使っていた黄楊の小櫛を墓に刺しておいたら、それが木となって成長し風に靡いていたというところです。

……奥墓を 此処と定めて 後の代の 聞き継ぐ人も いや遠に 思ひにせよと 黄楊小櫛 しか刺しけらし 生ひて靡けり[巻19・4211の長歌]
処女らが 後のしるしと 黄楊小櫛 生ひかはり生ひて 靡きけらしも[巻19・4212の反歌]

櫛には霊が宿るそうですから(中西進氏『万葉集 全訳注原文付(四)』講談社文庫、4211番歌の注19)、黄楊小櫛には処女の魂が籠っていたのでしょう。それが成長して木となったとあることから、木は処女の生まれ変わりであり、処女の変身物語とも言えましょう。

髙橋虫麻呂の歌には、処女の墓の上に木があり、千沼壮士の墓の方に靡いていたとありますが(1811番歌)、黄楊小櫛が木になったと詠ったのは大伴家持だけです。木の生命力と不思議な霊力を信じていたのかもしれません。

六朝時代の志怪小説『捜神記』にも似たような話があります。巻11の「相思樹」の話です。宋の康王の侍従であった韓憑(びょう)は、妻を康王に奪われます。憑は自殺し、妻も後を追いました。妻は「私が死んだらせめて死体を憑と一緒に埋めてほしい」という遺言状をしたためていましたが、康王は怒り、二人を一緒には埋葬させず、墓を向きあうように造らせたそうです。

すると、幾晩もたたぬうちに、両方の塚の端から大きな梓の木が生えて来た。そして十日もたつとひと抱えにもあまるほどになり、幹を曲げて近づきあい、下の方では根が、上の方では枝が交錯し始めた。また雌雄一羽ずつの鴛鴦がいつもその木をねぐらにして、朝から晩まで枝を去らず、首をさし交えながら悲しげに鳴く。その声は人々を感動させたのであった。[東洋文庫226頁]

宋の人々は哀れに思って、その木に「相思樹」と名づけたそうです。鴛鴦は韓憑夫婦の魂魄だという説もありますが、塚(墓)から生えた梓の木こそ韓憑夫婦の生まれ変わりでしょう。二本の木が合わさって「連理樹」となったのです。塚の木は夫婦愛の強さの象徴です。

時代は下りますが、夏目漱石の『夢十夜』(1908年)にも、墓石の下から青い茎が伸び、真っ白な百合の花を咲かせるといった描写があります。第一夜で、「女」は「自分」に「死んだら、埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の破片を墓標に置いて下さい。」と言います。女が亡くなった後、自分は、言われた通り真珠貝で穴を掘り女を埋めました。百年後、女の墓石の下から青い茎が伸び、真っ白な百合の花を咲かせます。女が白い百合となって自分に逢いにきてくれたのだと考えられます。

それでも百年がまだ来ない。しまいには、苔の生えた丸い石を眺めて、自分は女に欺されたのではなかろうかと思い出した。
すると石の下から斜に自分の方へ向いて青い茎が伸びて来た。見る間に長くなってちょうど自分の胸のあたりまで来て留まった。と思うと、すらりと揺ぐ茎の頂に、心持首を傾けていた細長い一輪の蕾が、ふっくらと弁を開いた。真白な百合が鼻の先で骨に徹えるほど匂った。そこへ遥の上から、ぽたりと露が落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動いた。自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花弁に接吻した。自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。
「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。

木ではなく可憐な百合が長い年月を経て白い花を咲かせるという、とてもロマンチックな設定になっています。

人間が木や花になって生まれ変わるという設定には、土葬や輪廻の思想の影響があったのでしょう。人が亡くなった後、埋葬すると、人は大地に還り養分となってそこに生える木々を繁茂させる、だから、墓に木々が生えてくるのは亡くなった人の生まれ変わりだと古代人は考えたのだと思われます。

ラフカディオ・ハーンの小説『チータ』(Chita:A Memory of Last Island、1889年)にも、同様の表現があります。1856年8月10日、ニューオーリンズを襲った大津波で家族が行方不明となり、自分だけ救助されたジュリアンは、半年ぶりに故郷のニューオーリンズに戻ってみると、自分や妻、娘の墓が建っているのを目にしました。墓の蓋の隙間から生きのよい雑草が生えています。シュー・グラ「脂味のあるキャベツ」と呼ばれる植物です。ジュリアンはこう思うのです。

……ひょっとしてその植物は、暗黒の中で根を張る場所を求めて、思いもかけぬ滋養をその中に見つけたのではなかったか。土中に埋葬された故人の心臓のなにかが、この植物の茎を通って上にのぼり、紫色やエメラルド色の生命と化しているのではなかったか。そのなにかがあの透き通った光を帯びる若葉を流れる液や、野生の漿果の甘い汁と化しているのではなかったか。(『チータ』第2部の7)[『カリブの女』河出書房新社、平川祐(示+右)弘氏訳、77頁]

ハーンは『チータ』で、墓地における盛んな生命活動を「大自然による復活」「肉体の不思議な変容」「霊魂の驚嘆すべき輪廻」と表現しています。

ボッカッチョ『デカメロン』(14世紀)にも、女が彼女の兄弟によって殺された恋人の頭を鉢に埋めてサレルノ産の美しいバジリコを何株か植え、毎日その上で長いあいだ涙を流すと、その鉢の中の頭が腐って土が肥えてきたためか、バジリコがたいへん強く香り、まことに美しくなったとあります(第四日第五話)。こちらは少々不気味ですね。

いろいろ見てきましたが、ハーンの言う「肉体の不思議な変容」「霊魂の驚嘆すべき輪廻」をロマンチックに表現したのが大伴家持の菟原処女の歌であり、夏目漱石の『夢十夜』ではなかったかと思うのです。どちらも亡くなった女性の生まれ変わりを信じて、美しく謳いあげています。

(し)
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