短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(35) 根岸鎮衛『耳嚢(みみぶくろ)』(3)-2

12.04.02

今一つは樹木にまつわる奇談である。

文化8年-1811-に発生した芝の大火によって市ヶ谷へ引き移ることを余儀なくされた能勢某の屋敷には、火災を免れた山の上に松の木が一本あった。伐採するのに忍びえず、隣家に引き取ってもらうことにした。ところが、移植のために根を切り回すと、一夜のうちに元通り土に埋まっている。困り果てた人夫も、切り倒すよりほかないと言う。これを聞いた能勢が松に向かい、「他処へ移るのは辛いだろうから、貰い手を見つけたのだ。動かないのなら伐られても仕方あるまい。だが、それでは無慚であるから、明日は快く移ってもらいたい。」と説諭したところ、翌日不思議に難なく移植できたという。(巻之九「非情といへ共松樹不思議の事」)

これもまた類話が民間に伝えられている。特に、『遠野物語』の話者佐々木喜善の『東奥異聞』(平凡社版『世界教養全集21』-昭和36年-)などによって、万人の知るところとなった。その一例を引用しよう。

岩手県上閉伊郡(かみへいぐん)栗橋村字古里(ふるさと)という所に一のマツの木あり、年々枝葉繁伸してついに付近の耕地を蔽い日光をさえぎることおびただしかった。その大きさははるかに笛吹峠からも和山(わやま)峠からも見えるほどであった。その木の持主の某惜しい樹木だが耕作物の邪魔には見替えられぬとて、伐り始めたがその日は木の十分の一をも伐ること能わずに夜になって家に帰った。そして翌朝いってみると木の伐り屑がみな元のように元木に付着して切り目がくわっているので伐りまた伐りすること、三十日余になったが、何日も同じことである。その男もほとほと困(こう)じ果てていると、ある夜夢に一人の老翁現われて告げていうことには、かの木の伐り屑を毎夕がた焼き捨てれば成就するだろうという。それからは毎夕切り屑を焼き捨ててついに伐り倒したが、その木が倒れて対こうの川向いの山までも枝梢は打ち靡いた。(『東奥異聞』「巨樹の翁の話」二)

以下、この巨木の幹を使って丸木舟を造る。しかし、重すぎて使用に堪えないため、うち置かれたまま腐ってしまう、というように別の話へと展開するが、本筋から離れるので省略したい。ともかく、佐々木の目にした古写本『東奥古伝』には、景行天皇60年-130-に遡る同型の伝説を付してあるという。明確に年代を記して史実めかしたところなど、いかにも怪しげな代物ではあるものの、上記のとおり江戸でも発生したわけであるから、大樹のあるところ、古今東西を問わず、類話が存在していて不思議はない。

この話では、巨木を伐り倒すに、伐り屑を焼き捨てるという簡便な解決法が示されている。他の話では、木の精がその方法を教えてくれることになっているものもある。神秘性があるといえば、その点だけで、木屑を焼くこと自体は呪(まじな)いでも非合理でもない。佐々木によれば、これと似た方法がかつて現実に行なわれていたようである。

いまでこそ種々な道具、大鋸(のこぎり)や発破(はっぱ)などが発見されて、どんな巨木でも難なく伐り倒すことができるが、昔は斧一梃でかかったもんだ。化けるような、そんな樹木でなくとも七日や十日には伐れなかったものだが、こういうときには焼伐りといって、夜は木の根付の幹を焼き、昼は斧で伐ると、あんがい速かったものだと。(同上)

これは、佐々木が老樵夫から聞いた話として紹介したものであるが、おそらく、この種の奇談の淵源は案外単純で、巨樹の伐採に難渋させられた職人の苦労話に基づいたものではなかろうかと思う。

(G)
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