(4) ドケチの奥義
11.07.09
「おーい、棚の修理をするから、大家(おおや)んとこへ行って、金槌(かなづち)を借りて来い。」
言い付けられた者が、手ぶらで戻ってくる。
「どうしたい。」
「へえ、釘でも打たれたら、頭が減るってんで、貸さねえんです。」
「ちぇ、ケチな野郎だ。しようがねえ、家(うち)のを使おう。」
このくらいなら笑って済ませられよう。だが、井原西鶴作と伝えられる『日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら)』(元禄元年―1688―刊)に登場する藤屋市兵衛はケタが違う(巻二「世界の借家大将(かしやだいしょう)」)。
藤市のケチぶりは骨の髄まで徹していた。汚れの目立たない皮足袋(たび)に雪踏(せった)を履き、決して道を走り回らない。草履の底が減るからだ。出かけた野道では薬草となる草を見つけて帰る。けつまずいた所で、火打ち石を拾う。ただで起き上がるものか。
もちろん、この男ただのケチではない。情報を得るのに敏速で、小判や銭の両替相場をいち早く把握し、綿・塩・酒などの先物取引にも通暁していた。だから、一代で大福長者といわれるほどの財を成したのだ。
何しろ考え方が合理的だから、無駄がない。どの商家でも年末となれば、自家で餅をつく。ところが、藤市はデリバリーにする。だいたい年末の多忙な時に餅つきなんぞに人手は割けない。年に一遍しか使わない道具を持っておくのも煩わしいというわけだ。
歳暮も押し迫った28日、餅屋がつきたてを運んでくる。呼べども藤市知らぬ顔でソロバンを弾く。じれた餅屋が若い手代(てだい)と交渉する。二時間ほど過ぎてから、手代に問うと、目方どおりに受け取って帰したという答え。藤市、「この家に奉公する程にもなき者ぞ、温(ぬく)もりのさめぬを請けとりしことよ。」と言って、再び秤にかければびっくり仰天。湯気を立てている餅と冷めた後では重さが違うのだ。手代は食いもしない餅に口あんぐりだったとか。