【コラム】『万葉集』の桜
24.04.09
皆様、こんにちは🌸 今年は花見をなさいましたか?
満開だった桜に、今日は無情にも冷たい雨が激しく降りそそぎました。桜の花弁に覆いつくされた路上を美しいと思いつつも、とうとう葉桜になってしまうのかと、行く春を名残惜しく思いました。
桜は古くは山野に自生しているものでした。『万葉集』には山桜の歌がしばしば詠われています。(ご存じのように、ソメイヨシノは万葉の時代には存在しません。)
*山峽に 咲ける桜を ただ一目 君に見せてば 何をか思はむ(大伴池主・17巻・3967)
*暇あらば なづさひ渡り 向つ峰の 桜の花も 折らましものを(高橋虫麻呂歌集・巻9・1750)
天平勝宝2年(750)、3月3日(上巳)の宴のために、大伴家持がわざわざ山に咲く桜を折り取ってきたという歌もあり、万葉人も花を活けて楽しんでいたことがわかります。
*今日のためと 思ひて標し あしひきの 峰の上の桜 かく咲きにけり(大伴家持・巻19・4151)
桜は貴族の邸宅にも植えられるようになりました。
*春雨に 争ひかねて 我が宿の 桜の花は 咲きそめにけり(作者不詳・巻10・1869)
雨が桜を散らしてしまうことを危ぶむ歌もあります。
*春雨は いたくな降りそ 桜花 いまだ見なくに 散らまく惜しも(作者不詳・巻10・1870)
*あしひきの 山の際照らす 桜花 この春雨に 散りゆかむかも(作者不詳・巻10・1864)
さて、天平21年(749)3月16日に、大伴家持が大伴池主に贈った歌、
*我が背子が 古き垣内の 桜花 いまだ含(ふふ)めり 一目見に来ね(大伴家持・巻18・4077)
大伴池主が以前住んでいた家の桜がまだ蕾のままなので、ひとめ見に来てください、という歌を詠んでいます。家の主(あるじ)のいなくなった旧邸宅にも、時を忘れずに桜が蕾をつけているという光景に、劉希夷の「年年歳歳 花相似たり 歳歳年年 人同じからず」を思い起こします。「歳歳年年 人同じからず」だからこそ、家持は池主に旧邸宅の桜を見てほしかったのかもしれません。
『万葉集』に詠まれた桜は、梅の花の歌に比べ、その歌の数は約三分の一です。花と言えば桜、桜が日本を代表する花と認識されるようになるのは平安時代以降のことです。とは言え、万葉人の桜に寄せる想いに、深い感動を覚えずにはいられません。「春雨はいたくな降りそ」という気持ちは、現代人も同じですね。