短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

【コラム】 癸卯の年に

23.01.25

 東京米沢町佐野屋某の所に、先日170両で買い求めた兎がいた。その頃、高く買おうという者があったが、子を産むのを待っているからと言って売らないでいた。その後、見込みのとおり子を産んで7匹を得た。ところが、家に飼っていた猫がこの子兎を食ってしまい、5匹をなくした。主人がひどく怒って、猫を殺そうとしたのを妻が止める。妻は直ちに猫を側に呼びつけ、兎の子を食った罪を責めるとともに、「畜生とはいえ、猫は賢いものだから、人の言葉も分かるはずだ」と諭す。そうして亭主が殺そうとしたことをようやく宥めた。「今後はきっと気を付けろ」と十分言い聞かせたところ、それから猫の姿が見えなくなってしまう。だが、その翌日の夕方戻って来て、ほんの少しの間に残った2匹の子兎と親の番いをも食い殺してどこへともなく逃げ去ったという。

 これは、明治6-1873-年8月11日付「東京日日新聞」(現在の毎日新聞)の記事である。前年から火の着いたウサギブームは、投機の対象として売買されるようになる。文中に見える170両(円)は、当時の公務員の月給が4~5円だったことを思えば、相当な高額だった。

 無論、このウサギは日本の固有種ニホンノウサギなどではなく、外来種である。加えて、個人でも交配して品種を改良することができたから、投機的価値の高いものを作り出したのだという(「日経ビジネス」ウェブ版)。

 しかし、このウサギバブルもわずか2年余りではじけてしまった。ウサギは多産である。妊娠期間が5週間ほどと短く、一度に5~10匹くらい生む。しかも、1年に4~5回出産するから、これでは供給過剰となり、希少価値がなくなってしまうのは必定だった(同上)。

 猫に食われたウサギは気の毒であるが、ウサギバブルが去った後、始末に困ったのか、ウサギ鍋が流行した(同上)というから、人間は猫以上に残忍である。

 とすると、唱歌「ふるさと」に歌われたウサギも小鮒も食料だったと考えてよい。「兎追ひし」を「ウサギがおいしい」と誤解したのも無理はない。「株を守りて兎を待つ」という諺に見るウサギもそうであったろう。

 また、ラ・フォンテーヌ『寓話』では、ウサギが臆病者の代表として登場する。角を持った獣がたまたま獅子を傷つけたばかりに、角のある動物はすべて獅子の領地から追放されることになった。山羊・羊・牡牛らが直ちに家を離れ、小鹿や大鹿もすばやく退散する中で、一羽のウサギが自分の耳の長いのを角と解されないか非常に心配する。隣家のコオロギに心中を訴えても、それは神のくれた耳だと言って取り合わない。それでも臆病者は、「いくら反対しても、言い訳は聞かれない。精神病院へ行けと言われるのがオチだ」と沈み込む(巻5の4「兎の耳」)。

 食料にされたり臆病者の烙印を押されたりしたのでは、ウサギもたまるまい。

 ただ、次のような食料ならウサギの魂も救われよう。インドの仏教説話『ジャータカ』にある著名な話だ。昔、猿・狐・兎の3匹が、山の中で力尽きて倒れている老人に出逢う。3匹は老人を助けようと考え、猿と狐はそれぞれ老人に食料を見出して与えた。しかし、兎はあちこち探し回ったものの、何も手に入れることができず、自分の非力を嘆くことしかできない。それでも、何とか老人を助けたいと考えた兎は、自らを食料としてもらうため、火の中に身を投じてしまう。すると、老人の姿を借りていた帝釈天が正体を現じ、「忘己利他(もうこりた)」の究極を示した兎の行為を後世まで伝えるため、兎を月へと昇らせた。それで月に兎の姿が見えるのだという。

 来月6日の夜は、スノームーンと呼ばれる満月である。冴えた月の表面にウサギの影を捜して見るのも一興であろう。癸卯(きぼう)の年に希望をこめて。(G)

「国宝 天寿国繍帳」(部分)奈良・中宮寺蔵の絵ハガキ 


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