短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(196)江戸の珍談・奇談(26)-2

20.04.20

香川県西部の大麻(おおさ)山の南東部分に象頭山(ぞうずさん)と呼ばれる、標高521mの山がある。琴平山、金比羅(こんぴら)山とも称され、現在、名勝・天然記念物となっている由。遠望すると象の頭のように見えるためこの名が付いたという。

この山の中腹に金刀比羅(ことひら)宮があり、毎年10月9日から11日にかけて「金刀比羅宮例大祭」が行われるが、その様子が『一話一言』にも記されていた。

祭りは至って古風であり、榊に白木綿をかけるばかりでなく、台所の器や擂粉木、火箸の類にも付ける。緋縮緬の小袖を被って雪のように白粉を塗った老婆が先頭に立ち、十二・三歳の小童と童女が華やかに装って続く。童子は馬、童女は輿に乗って、多くの伴人を連れて山へ登る。同様の行列二組が別当の院(金光院)に入ると、主僧が饗応する。院の玄関の畳を上げた所で人々は見物した。11日の夕刻から下山が始まるが、夜には暴風雨に見舞われるのが通例である。山上で祭礼に参加した人々に振る舞われる赤飯などを盛った折敷や箸は、下山時に皆山中に捨てて帰って行く。ところが、翌朝山に登ってみると、道に水を注いだように塵一つ落ちていない。その折敷や箸は隣国である伊予の某所という谷合に捨ててあるという。〈巻二、101~102ページ〉

さて、11日朝には「献馬式」が行われ、神馬一頭が献納されるそうである(琴平町観光協会HPによる)。金刀比羅宮は、海上交通の守り神として有名であるため、この祭りと馬がどんな関係を持つのか分からない。恐らく金刀比羅宮に行けば由来が知られるであろうが、ここでは『一話一言』からそれらしい記述を引いておこう。

安永の末年、伊予国の農民某が良馬を持っていた。その馬が子を産むのに難儀をしたため、妻がこの神に祈って、恙なく産ませてくれたら、子馬を神馬として捧げようと誓った。願いの通り子馬を得たが、怠って神にも捧げず、人に売ってしまおうとまでした。その時、子馬は自ら伊予の山越えをし、象頭山へ登って社頭に至る。社僧が驚き、どこの馬が離れて来たのかと諸方に触れ回したところ、すぐに持ち主がやって来て家に引いて帰った。だが、馬は再び出奔してこの山に来る。さすがに持ち主も恐れてこの神に献上した。馬は、今も社頭に繋いである。毛色は青で長さが八寸、たてがみが長く垂れて、全く野飼いのままである。
ここに不思議なことが一つ。その馬の背に斑毛が生えて、自然と金の字をなしてきた。年々少しずつ形が現れ、金の字の下の一画がまだ完成していないが、ひょっとして金毘羅の文字にもなるかもしれない。これはいい加減なホラ話ではなく、讃岐の太守に仕える友人の大高仁助が目の当たりに見たと言って私に語ってくれた。〈同上〉

馬には所有者の名を記した焼き印を押す。例えば、源三位入道頼政の嫡子仲綱は、所有する名馬を宗盛に差し出させられるが、家来の競(きおう)が宗盛秘蔵の馬を代わりにもらい受ける。その時、宗盛を侮辱する焼き印を馬に押して意趣返しをした〈『平家物語』巻四、競〉。金刀比羅宮の神は、焼き印にこそ頼らないものの、献上された馬の背に斑毛を生やして自分の物であることを示そうとしたらしい。(G)

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