短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(186) 江戸の珍談・奇談(25)-14

19.02.21

以下は、鈴木桃野の知人が語った話。

高田という所の西に諏訪明神の古社があり、その辺りを諏訪村と言った。秋にもなれば、荻や萩など、色々な草花のある中にキリギリス・クツワムシなどが集き、鳴く声が興趣を催す。そんなある日、キノコを採ろうと思って、その辺りに赴いたところ、茄子の花や豆の花の咲く畑の内を北から南へひた走りに走る者がある。十段ほど遅れて所在の者どもが「盗人、盗人」と声を挙げるので、あちこちの畑から人々が集まり、逃すなと追いかける。盗人はまた西から東へと方向を変えた。

ところが行く先々で人に出くわすから、最早遁れようもない。ついに畑の堀切を跳び越えようとして、どうと落ちた。腰骨を打ったのか、しばらく起き上がれない。そこへ人々が走り寄って取り押さえた。直ちに着る物を剥ぎ取り、左右の腕を引き伸ばして六尺ほどの竹に結び付け、着物は帯でからげて首に掛ける。打ち倒しては起き上がらせたり、仰向けに引き倒しては起き上がらせたりしていたが、しばらくすると、所の掟はこれで済んだと言って、各々自分の畑へ戻って行く。

異様な成り行きに事情を尋ねると、この者は農民の鍬を盗んで去ろうとしたが、持ち主に発見されたのである、以後の見せしめにするためにこうするのがここの決まりだ、およそ畑の作物を盗む者は、茄子・瓜の区別なくこの法に処するのだと説明してくれた。そこで、かの盗人の有様を見ると、乞食や非人などのようでもない。ひどく打ち叩かれたので、今は起き上がることもできず、臥している。それでこの後はどうするのかと問うと、最早罰は加えたのだが、ここを離れるまでは縄を解いて許すことはできない。歩かせて恥をかかせるようにするのが法だと言う。確かにここで縄を解くのもどうかと思ったので、それもそうだと、そのまま立ち去ったのだが、盗人がその後どこへ行って助かったのか知らない。

一年余り後、ある所へ行く道すがら、刀の鍔を作る家の前を通りがかった。珍しい仕事だから立ち寄って覗くと、様々な形をした粗金(あらがね)に好みの絵模様を彫る様子が面白い。ふとその人を見て、見覚えがあるような気がしたが、確かに思い出さないまま行き過ぎてしまう。それが気がかりで、家に帰っても幾度も思い返して、とうとう思い出さないままになっていた。

そうこうするうち、ある家で、下部に命じて山の芋を掘らせたところ、思うように掘ることが出来ない。これは鍬がよくないからだろうと思ったとたん、そういえば、野山の人が使う鋤や鍬は白銀のように光り輝いて、大変掘りよさそうに見える、前に見た鍔の細工師が、色々の形に作った粗金の地を錐で打ちながら平らにしていた物とよく似ていると思い付く。と同時に、日頃思い出すことが出来なかった鍔師の顔が思い浮かび、それは正しく諏訪村で捕らえられたあの鍬盗人だった。

それにしても、なぜ盗みなどをしたのかというに、あの細鍬の鉄が鍔に恰好の材料と見込んだため、盗み取って鍔に作ろうと考えたに相違ないと思い至ったのである。〈『反古のうらがき』97~98ページ〉

この鍬盗人は、鍔職人としての腕前はともかく、純粋な芸術家だったのかもしれない。無論、盗みは御法度だが。ところで、鍬のような物的財産ではなく、詩文や音楽・美術などの知的財産だったらどうであろうか。最近、他書から多くの部分を剽窃しながら文芸作品として公表された事例があった。盗んだ鍬を加工もせずそのまま取り揃えて商売しているようなものである。こうなると、いずれ他人の鍬も始めから自分の物だと主張するに違いない。

公に私刑の認められない現代では、そうした不心得者から著作権という法律が守ってくれることになっている。だが、特に文芸作品の場合、例えば盗作か否かの線引きが一般の見解と司法判断とで食い違う。しかも、当面金銭的な被害に直結しにくいから、精神的苦痛に帰せられる場合が多い。そのため、あえて訴訟に及ばないこともあろう。

法律は、全国民を対象として適用されるが、特定の集団には、集団の「掟」に背いた者に対して私刑に近い処罰がある。剽窃や盗作を重ねた者が人知れず業界から去っていたという話もあるから、出版業界に存在する「所の法」という不文律に期待するしかない。こちらの方が社会的な抹殺に等しい扱いを受けることもあるから、むしろ厳しいのである。

(G)
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