短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(178) 江戸の珍談・奇談(25)-6

17.10.22

文政7年-1824-頃のこと、ある屋敷から釣台に病人を乗せて運び出したことがあった。ところが、死人を乗せて人のいない所に捨てる者があるから用心しろ、と誰かが虚言を言い出したため、江戸一面に行き渡り、武家屋敷では番人を出して警戒に当たったものの、二三日で騒動は収束したという。

その後一・二年過ぎて、月見をしていたところ、提灯を灯した鳶職風の男二人が、「世の中には残忍な奴もいるものだ。あの女の首はどこで切ったのか。前掛けで包んであるから卑しい者の妻であろう。犯人はその夫に違いない。間男などの出入りか。今そこで首を捨てようとして咎められ、持ち去ったようだが、どこへ捨てるつもりなのか」と話している。

物騒な話だから、呼び止めてどこの事件かと問うと、「おや、まだご存じないので。ここから遠くない市ヶ谷焼餅坂上です。夜更けに門外に立っていらっしゃるから、定めしその捨て首の番人かと思いましたが、そうじゃなかったんですね。ここから先は皆家毎に門外へ出て番をしていますよ」と言って立ち去った。

直ちに門前の辻番所に命じてよく番をさせたが、気にかかって寝られない。夜が更けて外の番人の話が耳に入って来た。「組合から言い付けられたから眠るわけにいかない。一体いつまで続くのか。もし油断して捨て首でもあると、申し開きができないからどうしたらいいか」と言い合っている。そこで、「捨て首があったらあったで仕方がない。まず休むがいい」と言い渡して寝た。

明くる日、周辺へ問い合わせると、そんなことはまったくないと言う。あの二人に騙されたのである。だが、この虚言も小石川、巣鴨、本郷から浅草、千住、王子などにも広がって、大いに驚き騒いだと聞いた(『反古のうらがき』16ページ)。

上記の話では、流言蜚語を発した者にしても、悪戯気分であろうから、大して実害はなかったと思われる。それにしても、情報の伝達が人づてによる外なかった時代にしては、随分と伝わるのが速い。悪事千里を走るとはよく言ったものだ。これが現代なら、ネットワークを通じて一瞬のうちに全世界へと広がってしまう。

正確な情報ならよいが、デマやフェイクニュースの横行は目に余る。「フェイクニュース王」と米メディアから呼ばれた人物に関する記事が2017年8月10日付「毎日新聞」に載っていた。5年前、オバマ民主党政権のリベラルな風潮に危機感を強めた保守層が、事実無根の報道を鵜呑みにしていたことから、出鱈目のニュースを配信し始めた由。「驚いたよ。思っていたよりずっと簡単だったんだ」とフェイクニュース王は語る。

サイト運営は拡大を続け、2014年にはライター20人を抱え、年収60万ドル(約6600万円)に達したという。閲覧数の増加に伴って広告収入が伸びたのである。だが、フェイクニュースの負の面(正の面があるのか?)を忘れてはいけない。昨年12月、首都ワシントンで28歳の男がピザ店に押し入り、ライフルを発砲した。オバマ元大統領の支持者が経営するこの店を拠点に「クリントン陣営が児童の人身売買に関与している」というフェイクニュースをこの男は真に受けたからである。熱心なキリスト教徒だった男の父親は「息子はフェイクニュースの犠牲者」と言っている。

アメリカでは、以前から大統領選があるたびに偽情報が流されて来た。フェイクニュースを受け入れ、活用する土壌が元々あったのである。ニュースの真偽をチェックする第三者組織と協力するある事務所の話では、大統領選のあった2016年にフェイクニュースは爆発したという。メディアが大統領選の最後の3か月間の人気記事を分析したところ、フェイスブックで共有されたり、「いいね」を押されたりした回数は、大手メディアのニュースで計730万回、フェイクニュースは計870万回に上った。

「人々は異なる意見に接する健全さを欠き、似た考えばかりを聞いて自分の考えを補強する」とシアトル・タイムズ紙の元編集主幹は言う。「自分の真実」対「あなたの真実」の闘いが生じているというのである。このあたり、日本と韓国・中国との間で対立する諸問題を連想させる。無論、真実は一つではないかもしれない。だが、身勝手な真実はもはや真実とはいえないであろう。

フェイクニュース王は、批判や後悔もあって、トランプ大統領就任後まもなく偽情報を流すのを止めた。一方、トランプ政権に不満を募らせるリベラル層が「フェイクニュースの次なる市場になる」と予言してもいる。真偽を見分ける眼を養うには何が必要か。今最も重要な教育上の課題かもしれない。

(G)
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