短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(174) 江戸の珍談・奇談(25)-3

17.08.05

『反古のうらがき』といえば必ず取り上げられる話が「縊鬼(いき)」という一篇で、鈴木の叔父酔雪翁の話として以下のように伝えている。

麹町屋敷に住む元同心組頭(くみがしら)である某の仲間に、よく酒を飲み、落とし噺や物真似をする同心があった。ある春の日永の頃、同役の寄合があり、夕刻から酒宴が始まっていた。例の同心は給仕として参る約束であったが、その日にやって来ない。家人も皆その芸を見ることを楽しみとして待てども姿を見せない。
大いに興が醒めていたところに、あたふたとやって来た。やむを得ない用事で門前に人を待たせているため、お断わりを申し入れてから直ぐに帰ると言って去ろうとするけれども、家来が許さない。まず主人及び一座の客人にその旨伝えるから、待っていろと言うと、同心はひどく困った様子であるものの、その意にひとまず従った。
こうして主人に告げたところ、「どんな用事か知らないが、組頭衆の寄合に、先程から長いこと待っている。たとえやむを得ない用事だとしても、顔も出さず帰るなんてことがあるか」と言って、同心を無理に引き出し、用事の内容を問い質すと、「特に大した用件ではありません。喰違(くいちがい)門内で首をくくる約束をしたので、どうしようもありません」と言って、ひたすら立ち去ることを請うた。
主人も客も訝しんで、「これはどうやら乱心したらしい。こうなったら、いよいよ引き入れて酒を飲ませるのがよい」と言って、酒席へ引き出し、まず大杯で続けざまに七八杯飲ませる。同心が、もうこれでお許しをと言うのも聞かず、再び七八杯飲ませた。主人が声をかけ、例の声色(こわいろ)を所望すると言うので、仕方なく一つ二つ芸を披露し、また辞去しようとするのを、主客が各々杯を与え、よほど酩酊の気色が見えたため、満座これを面白いことだと、代わる代わる酒を勧め、その動静を窺っていた。
一時ほど経つうちに、すっかり辞去を願うことは忘れた様子で、特別乱心とも見えなくなった。その時家来が現れて、「ただ今喰違門内で首くくりがあったと組合から連絡がありました。人を差し向けるのがよいでしょうか」と言う。主客が聞いて、「さては先程の縊鬼がこの者を殺すことができないで、別の人を代わりに取ったと見える。もはやこの男の縊鬼は離れている」と言って、最前の様子を同心に尋ねると、「夢のように思われてはっきりしません。その時分喰違門まで来たのは、夕刻前です。そこに誰か一人いて、お前はここで首をくくるのだと言ったのですが、私は断ることができませんで、その通りくくるつもりです、ただ今日は組頭の所へ給仕に行く約束ですから、その断わりをしてから、仰せに従うつもりです、と言うと、その人が、それならと言って、こちらの門まで付いて来て、早く断わりを入れて来いと言いました。その言葉が背きがたい義理のあるもののように感じられて、その人の義理に背くことができないように思ったのは、どうしてか分りません」と言った。「それでは、今は首をくくる気持ちがあるのか」と問うと、同心は、自ら首に環をかける真似をして、「おお、恐ろしや、恐ろしや」と言った。〈『反古のうらがき』巻之一―『鼠璞十種』中巻、13~14ページ―〉

鈴木が「全く約を践(ふ)むを重んぜしと、酒を飲みたるとの徳にて、命を助かりし」と結ぶように、この同心は、組頭との約束を守ろうと訪れ、そこで酒を飲んで死神との約束を破ったため、死を免れたのであった。

一方、イギリス民話によると、悪魔を騙して死期をごまかそうとする強者が登場する。

死後の世界へ連れて行こうとする悪魔のお迎えにペンゲリー氏は十分間の猶予を願い出る。最後のお祈りを唱えようというのであった。そこで、悪魔は、若い頃自分に尽してくれたペンゲリー氏のために、蝋燭が燃え尽きるまで待ってやると言う。だが、一向に部屋から出ていかない。
ペンゲリー氏は、安心してお祈りしたいので、しばらく席を外してくれと悪魔に頼む。悪魔が背を向けた隙にペンゲリー氏はベッドから飛び起き、短くなった蝋燭の火を消し、蝋燭箱の中へ放りこむと、箱ごとベッドの下へ押し込んだ。
蝋燭が燃え尽きたと思った悪魔が地獄へ伴おうとすると、蝋燭は箱に隠したから燃え尽きはしないと言い、あんたに来てほしい時には使いの者をやるよ、とまでペンゲリー氏は嘯いた。〈『イギリス民話集』―河野一郎編訳、岩波文庫―347~349ページ〉

上記の同心は、恐らく当時の(今でも)日本人の心性を代表していよう。死神には逆らおうとせず、運命を受け入れようとしている。ところが、イギリス民話では、相手が悪魔でも危害を加えようとする人間と同様に対決の姿勢を示していた。そういえば、ジェームズ・キャメロン監督「エイリアン2」の結末で、エイリアンの女王を宇宙空間へ放り出すシガニー・ウイーバーは、移民の娘を守るためエイリアンと正対する。恐らく、日本人ならまるで反対に娘を庇って背を向けるところだ。

但し、かのペンゲリー氏の話を伝えた人は、「噂じゃ、ペンゲリー氏のかみさんは何とかあのちびたろうそくを捜し出し、すっかり燃しちまおうと、もう何十回となくやってみたんだが、だんなはかみさんのやることに目を光らしとって、悪魔からと同じくらい、女房からもしっかり隠しとるんだと」と落ちをつけている。これではどちらが悪魔か分からない。

(G)
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