(161) 砧を打つ音
16.11.12
『源氏物語』夕顔巻で、五条の大弐の乳母を見舞った光源氏は、隣家の夕顔の花に心惹かれ、そこに住む女にも関心を持ちました。この夕顔の宿の女は、雨夜の品定めで頭中将が語った常夏の女のことで、頭中将の本妻・四の君から脅され、身を隠したのでした。
光源氏は素性を隠したまま夕顔と交わりを持ち、自分でも不思議に思うほど夕顔にのめり込んでゆきます。八月十五夜、粗末な夕顔の宿で一緒に過ごした光源氏は、庶民の会話や唐臼の音、砧を打つ音などを聞き物珍しく思います。上流貴族の邸宅では、耳にすることのなかった庶民の生活の音です。
…白栲の衣うつ砧(きぬた)の音も、かすかに、こなたかなた聞きわたされ、空とぶ雁の声とり集めて忍びがたきこと多かり。〔新全集①156頁〕
砧とは、ごわごわとした織布を木の槌で打って柔らかくし、光沢を出す道具のことです。新編日本古典文学全集①156頁の頭注では、「その愁いのこもった音によって、月夜に婦人が遠地の夫を思う漢詩の材料などに多く用いられる」とし、この場面の典拠として『和漢朗詠集』の「北斗の星の前に旅雁を横たふ 南楼の月の下に寒衣を擣つ」(巻上・秋・擣衣・劉元叔)や『白氏文集』の「月は新霜の色を帯び 碪(きぬた)は遠鴈の声に和す」を挙げます。砧の音と雁の音が合わさって、秋の風景をいっそうもの悲しくしています。
白居易には、「聞夜砧(夜の砧を聞く)」という詩もあります。
誰が家の思婦ぞ 秋に帛(きぬ)を擣(う)つ
月苦(さ)え 風凄まじくして 砧杵(ちんしょ)悲し
八月九月 正(まさ)に長き夜
千声万声 了(お)わる時無し
応(まさ)に天明(てんめい)に到らば 頭(かしら)尽(ことごと)く白かるべし
一声添え得たり 一茎(いっけい)の糸(どこの家の妻だろうか、夫を思い、秋の夜に砧を打つ音がする、月光は冴えわたり、秋風がつよく吹く中、トントンとこだまする。陰暦の八月九月、秋の夜長、千や万をもって数える音が終わる時なく響き渡る。きっと夜明けになれば、髪の毛は全て愁いのために白くなるだろう、ひとたび音がすると、白髪が一本ずつ増えていく。)
赤井益久氏は、この詩の「思婦」が、「おそらくは出征した夫を思って、寒衣(冬用の衣服)を準備しているのだろう」と仰っています(『NHKカルチャーラジオ 漢詩をよむ 中国の四季のうた 秋・冬編』NHK出版、漢詩や現代語訳の引用も赤井氏の当該書に拠る)。
中唐の詩人・孟郊の「聞砧」も同様に詠みます。
……月下 誰が家の砧/一声 腸(はらわた)一たび絶つ/杵声 客の為ならず/客聞けば 髪自ずから白し/杵声 衣の為ならず/遊子をして帰らしめんと欲すればなり
(月光のもと、どこからか聞こえる砧を打つ音こそ、ひと声聞くごとに、腸が断たれる心地がする。杵の音は、客人のためではない、客人が耳にすれば、白髪が増える。杵の音は、衣を打つためではない、旅人を故郷に帰らせるためである。)
砧を打つ音は、戻らない夫を待つ女の悲しみの声です。頭中将から身を隠した夕顔もまた、砧の音を聞き、愁い嘆く毎日であったに違いありません。でも、光源氏が通ってくるようになり、「もっとゆっくりできる別の場所で夜を明かそうよ」と光源氏によって某の院へ連れ出された時、夕顔の人生は突然終わってしまいました。二度と還ってくることのない男を待ち続ける多くの女たちの怨嗟が、夕顔を幸せにはすまいと某の院にまで追いかけてゆき、夕顔の命を絡め取ってしまったかのような印象を受けます。もしかしたら、その怨嗟の中に、夕顔に光源氏の愛を奪われた六条御息所の怨念も加わっていたのかもしれません。