(155) 江戸の珍談・奇談(22)-3
16.05.28
蛇が蛸に変身するという奇談がある。
文化9年-1812-6月16日のことである。越後の国刈羽郡石地町の漁村に、文四郎という少年がいた。友人2・3人とともに賽の河原と呼ばれる海辺へ出て水浴びをしようとした時、石の六地蔵の傍から長さ4・5尺の蛇が走り出た。
文四郎らがこれを見るなり叩き殺そうと手に手に棒を握って打とうとしたところ、蛇はすぐに海へ入ってしまった。文四郎らは衣服を脱ぎ捨て、海中から顔を出した岩角伝いに波を凌いで泳いで行く蛇を追う。おいそ岩という岩のほとりに至った時、蛇が岩角に何度もその身を打ちつける。不思議だと見ているうちに、蛇の尾がたちまち幾筋かに裂けたが、周囲の海水が直ちに黄色くなったという。
それでも恐れない文四郎らは、取り逃がすことなく遂に打ち殺してしまった。引き上げてよく見ると、その蛇は、すでに蛸へと変わり、裂けた所は、足になってイボまでも生じている。頭も蛇とは異なり、丸く膨らんで、まるで蛸そのものだった。ただ、色は白く少しも赤みがない。日を経ると赤みがさすという。また、足は8本ではなく、7本しかなかった。
それだから、この地の漁夫らは、7本足の蛸を捕らえると、蛇の化した物だといって捨ててしまい、決して食べない。だが、蛇が蛸に変身する姿を文四郎らが目の当たりにしたのは大変珍しいというので、あちこちに喧伝された。〈『兎園小説』139ページ〉
蛇を見た途端に殺そうとするのは、蛇に対して抱く潜在的な恐怖がそうさせるのか。原始人類が蛇を不倶戴天の仇敵と嫌うほど危うく苦い経験が、後世の人類にもDNAとして残っているのかもしれない。
俄かに信じられない話である。筆録者は馬琴の息子宗伯であるが、当地に住む友人の一人が実際に文四郎に会って話を聞き、地図まで書かせて父馬琴に送って来たというから、まんざら嘘とも思われない。
次に紹介する鼠の怪異も、信じがたい話だ。
奥州伊達郡保原という所の大経師松声堂に親族から手紙で送って来た世にも珍しい話だという。
南部盛岡から20里ほど奥の福岡に青木平助という旧家がある。その家作は五・六百年前に造ったものだが、そのまま代々住み続けている。この春2月の頃、平助の夢に、棟の上に一塊の焔が炎々と燃えていると見て、目覚めてふと仰ぎ見ると、夢と少しも違わず、自分の寝ている上の棟に火が燃えていた。あわてふためいて起き上がり、梯子を用意して、水を注ぎかけたところ、忽ち火は消えて大事に至らなかった。
平助は胸打つ動悸を静めたが、なぜこんな怪異が起きたのかと不安でならない。だが、家内の者に告げれば、物の怪のしわざだと大騒ぎになるから、今少し様子を見ようと思い、まんじりともせず暁を待った。
翌朝、いつものように家族が集まって朝食を摂ろうとする時、例の棟と思われる所から何かがぽとりと落ちて来た。突然のことで、女たちは叫び声を上げて跳び退く。平助は気にかかることがあるので、じっとその物体を見ると、ひどく年老いた同じ大きさの鼠が9匹、尾と尻を突き合わせて円座のように丸くなり、互いに手足をもがいて、走り逃れようとしている。ところが、その鼠らは、どんなにもがいても、尻と尻が繋がって離れない。ひたすら駆け出そうとするものだから、くるくると同じ所を回るばかりである。
家人らは恐れ驚く中でも、面白いことだと思われ、「どうして同じ鼠が9匹も揃ったのか。そればかりか尻と尻が離れないのは、どうしたわけだ」と大騒ぎをしながら、「外して逃がそうか。それとも打ち殺そうか」などと言い、薪のような物で2・3人が左右から引き分けようとしたものの、引きはがすことができない。これは奇妙だと強く引いて見ると、不思議なことに、鼠の尾と尾が絡み合い、網代を組んだようになっている。力を入れれば尻も尾も抜けてしまうなどと言う人があるから、そのままにしておいたところ、近所の者が伝え聞いて貰い受け、竹の先に引っかけて見世物にした。その後、川へ流したか、土に埋めたか知らない。〈同、221ページ〉
双頭の蛇などの畸形もこの奇談集には紹介されている。この鼠も、スマホを持つ現代なら即座にネット上で大きな話題となりそうだ。9匹の鼠が尻尾で繋がり、それぞれ駆け出そうとするから同じ所を回るなど、全くギャグ漫画そのものである。また、夢に見た炎が実際に燃えていたという箇所は、怪異性を煽ろうとする演出でもあろう。いかにも怪しげだが、真偽はともあれ、この種の話材は、科学万能の時代となっても尽きることがない。あたかも科学の進歩に抵抗する反作用のようにどこからともなく現れてくる。