短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(134) 王朝物語の「御簾」

15.05.18

平安貴族社会では、成人した男女は御簾(みす)で隔てられ、直接顔を見ることができませんでした。『源氏物語』桐壺巻で、光源氏の成人後、義理の母・藤壺とは御簾越しにしか会えなくなってしまい、とても悲しく残念に思う場面があることはご存じでしょう。

(光源氏が)大人になりたまひて後は、ありしやうに、御簾の内にも入れたまはず、御遊びのをりをり、琴笛の音に聞こえ通ひ、ほのかなる御声を慰めにて、…(桐壺巻)

成人前は御簾の中に入れてもらい、亡き母そっくりの藤壺に慣れ親しむことができたのに、成人後は藤壺の弾く琴に自分の笛の音を通わせたり、かすかに漏れてくる藤壺の声を日々の慰めとしたとあり、光源氏のもどかしい気持ちがよく伝わってきますね。

『伊勢物語』64段に、「吹く風に わが身をなさば 玉すだれ ひま求めつつ 入るべきものを」という歌があります。男がある女に対して贈った歌で、自分が風だったら御簾の隙間を探して入ることができるでしょうに、という意味の歌です。御簾の端から入るということでしょうが、風に変身して、御簾の小さな編目から透明人間のように入り込めたらいいなと願う男の姿を想像してしまいます。

風が御簾を捲し上げるという場面が『うつほ物語』にあります。

(いぬ宮が)簾のもとに何心なく立ちたまへるに、風の簾を吹き上げたる、立てたる几帳のそばより、傍ら顔の透きて見えたまへる様体、顔、いとはなやかにうつくしげに、あなめでたのものやと見えたまふを、(楼の上上巻)

御簾が捲れあがり、物語最終巻のヒロイン・いぬ宮の美しさが露わになります。風のちょっとした悪戯で、物語は更なる展開を見せそうですが、これ以上話は進展しません。『源氏物語』若菜上巻では、六条院での蹴鞠遊びの折、光源氏の正妻・女三の宮の飼っていた唐猫の首紐が絡まって御簾を引き上げ、端近にいた女三の宮が、貴公子・柏木によって垣間見されます。もともと女三の宮に好意を抱いていた柏木は、その後約六年にわたって女三の宮を想い続け、密通に至るのです。

さて、『うつほ物語』のいぬ宮にまつわる表現で、御簾が関わる例がもう一例あります。楼の上下巻に「いぬ宮、玉虫の簾より透きたるやうに、あなめでたと見えたり」とあります。いぬ宮の美しさを単に光り輝くという表現にせず、玉虫が御簾から透けて見えているようで美しいと表現しました。「玉虫厨子」で有名な玉虫ですが、「玉虫」の文献上の初出は、『新撰字鏡』(9世紀末~10世紀初頃)の「〈虫+憂〉 玉虫」で、王朝物語では、『うつほ物語』にこの場面を含めて2例あるだけです。

いかめしき木の陰、花紅葉など、さし離れてたまむしの多く棲む榎二木あり(国譲中巻)

「玉虫の簾より透きたるやうに」――翡翠色や金色を核としながら色々に、それこそ玉虫色に輝くような美しさのいぬ宮。そのいぬ宮が御簾から透けてほのかに見える様は、本当に美しいですね。

御簾の文化は、本質を内に隠す、あるいは包むという日本文化の特質に合致したものと言えましょう。電飾で昼夜を問わず明るい世界で、露出の多いファッションが流行る現代には、御簾越しに相対する男女のドラマはありえない設定に感じられるかもしれません。

(し)
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