(130)『琴操』「別鶴操」と歌徳説話
15.03.13
古代中国の琴曲に「別鶴操」という曲があります。後漢の蔡邕(さいよう)の撰と伝えられる『琴操』(きんそう)の中に、「別鶴操」の曲の由来が載っているので、ご紹介しましょう。
「別鶴操」は、商陵の牧子の作る所なり。牧子妻を娶ること五年、子無し。父兄、爲(ため)に改め娶らんと欲す。妻之(これ)を聞き、中夜驚き起く。戸に倚(よ)り悲嘯(ひせう)す。牧子之を聞く。琴を援(ひ)き之を鼓して云(い)はく、「恩愛の永く離れることを痛む。別鶴を歎き、以(もつ)て情を舒(の)ぶ。」と。故(ゆゑ)に「別鶴操」と曰(い)ふ。後に仍(すなは)ち夫婦と爲(な)る。
牧子は妻を娶って五年経ちましたが、子どもがいませんでした。そこで、牧子の父母が新たに妻を娶らせようとしたのをこの妻が聞き、夜中に起きて鶴の鳴き声を聞いて、戸に倚りかかって悲しみます。牧子は妻の泣き声を聞いて悲しみ、琴を弾いてうたったのが「別鶴操」という曲です。お話の最後に、牧子がこの曲を歌ったことで、「後に仍ち夫婦と爲る。」とあり、どうやら別れなくても済んだようです。
両親が、息子・牧子の深い悲しみを目の当たりにし、許してくれたのでしょうか。その辺のことが書かれていないのが、残念です。妻と引き裂かれる哀しみをうたった歌は、親の頑なな心を軟化させます。歌の力ってすごい、ですね。
さて、『琴操』にしては、珍しくハッピーエンドになっていることが注目されます。『琴操』には、約50の古琴曲の作者や由来、歌辞(歌詞)が記されていますが、たいていの場合、悲劇的な結末になっています。もしかしたら、「別鶴操」の最後の一文は、後世の付け足しで、子のない妻と別れさせられて、牧子は悲嘆にくれ哀しみの歌をうたったというのが原型かもしれません。
崔豹(さいひょう)の『古今注』(『楽府詩集』巻五十八「琴曲歌辞」所収)では、「別鶴操」について『琴操』とほぼ同じ内容を紹介し、歌辞「將(まさ)に比翼に乖(そむ)き天の端を隔て、山川悠遠、路漫漫、衣を攬(と)り寢(いね)ず、食飱(くら)ふを忘れんとす」を載せていますが、「後に仍ち夫婦と爲る。」はありません。哀しみの歌で終わっているのです。
歌を詠むことによって、問題が解決したり、置かれた状況がよくなる話を「歌徳説話」と言いますが、『伊勢物語』第5段(関守)や第23段(筒井筒)が有名ですね。第5段では男が歌を詠んだことで、女との交際を女親が許してくれますし、第23段では女が歌を詠んだことで、夫は新しい女のところへ通うのをやめて戻ってきてくれますよね。
『琴操』「別鶴操」の「後に仍ち夫婦と爲る。」の直前に、歌辞「將乘比翼隔天端。山川悠遠路漫漫。攬衣不寢食忘飱。」があると、完璧な歌徳説話と言えましょう。