短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(125) 江戸の珍談・奇談(13)―1

14.12.15

「犬猫をふかく愛するものは、大かた人には情愛のうすきものなり」

『近世畸人伝』の項で既に紹介した、柳里恭こと柳沢淇園の著とされる『雲萍雑志(うんぴょうざっし)』(天明14年-1843-)にこうある。

貴人は分別があるからそんなことはないが、下衆には多い、と『徒然草』ばりに、上から目線で始まり、「飼ふものに不便(ふびん)を加ふるほどならば、人にも情(なさけ)はふかかるべき理(ことわり)なるを、かへりて左(さ)もなきは、心底世にもいとうたてし」と、犬猫を溺愛する者に対して唾棄するがごとくである。

ここまで言い切ったには、それなりの根拠があった。淇園は次のような実見した例を掲げている。

東海道を通っていた頃、定宿としていた旅宿の店主の妻が、狆(ちん)をこの上なく可愛がっていた。食べ物を口移しで与えるばかりでない。到来物も主人より先に狆に食わせ、人には後回しとする。その主人も愚昧で、妻の行動を許しているから、狆に対して物を言うことがまるで人間に対するのと同様であった。犬へのこんな溺愛ぶりに近隣の者は、妻を「狆のかか(嬶)」と呼んだほどである。この妻には子がなかったため、甥(おい)を養子として迎えたが、狆と仲が良くないと言い立て、讒言を設けて追い出してしまう。甥は、自分より狆の方が大事かと怒り、詫びも入れないどころか、再び家に戻らなかった。そんな噂が広まれば、養子に入ろうという者などありはしない。とうとうその家は断絶してしまった。〈有朋堂文庫『名家随筆集 下』216ページ〉

さらに、「この妻養子を愛すること狆の如くせば、その家ながくさかえたらんを、愚夫愚婦の所為(しょゐ)、邪路におもむく、かかる類(たぐ)ひ世にいと多かり」と淇園は結んでいる。

現代なら、犬を可愛がって家が滅びようとその人の勝手だという意見もあろう。だが、あの破天荒な奇行で知られる淇園にしてこの道徳家ぶりはどうだ。衆愚の蒙を啓こうという道学先生の有難い講話を承っているような気さえしてくるではないか。

『雲萍雑志』は、様々な逸話を紹介しながら、一貫して倫理道徳をテーマとしているように見えるのは確かで、本当かねと首をかしげたくなるような話もある。だが、頭から否定せず虚心に読めば、それなりに感動しないわけでもない。そんな例を一つ紹介しよう。

丹波の国と丹後の国との境を隔てる毘沙門山(びしゃもんざん)の麓に貧農が住んでいた。二人の娘のうち、先妻の子である姉は17歳、妹は10歳である。姉が10歳の時父を失うと、その後は二人して孝行いよいよ深切に母に仕えていた。妹は果物を商い、姉は山野に入って薪を採り、また雇われ仕事でわずかの金を稼ぐ。だが、娘二人の働き程度では、母も含めて三人の身過ぎはままならない。そこで、ある時姉は、自分を人買いに身売りし、その代価で母を養いたい、お前はまだ幼いが母を十分に養うように、と涙を流して妹に持ちかける。その日から夜ごとに妹の姿が見えなくなった。こっそり行方を母に尋ねると、山の毘沙門堂へ詣でているとの答えである。雨のひどく降る日、「雨が激しいうえ、道も暗い。険しい坂を登って怪我でもして母を嘆かせるようなことをしてはいけない。今夜は止めなさい」と姉が止めたにもかかわらず、七日の満願だからと振り切って、妹は大雨の中を出て行った。一里余りの道のりを辿り、やっと峠の堂に至ると、堂の中から火影が洩れてくる。不審に思って中を覗くと、二人の盗賊が雨に濡れた衣服を焚火で乾かしていた。旅人が雨宿りをしているものとばかり思った妹は、そっと中に入る。賊はぎょっとして女の子を誰何する。御堂の本尊に祈願することがあり、今宵が満願だから詣でたのだ、と事情を語れば、遠い道をどんな祈願があって来たのだ、とさらに賊が問う。そこで妹は、姉と自分の二人で母を養っているが、生活の手立てが乏しく、ついに姉が身売りすることにした、母も養い姉も身売りさせないために、自分の命を引き換えとして神仏に祈っているのだ、と言ってさめざめと泣いた。貰い泣きした二人の賊は、盗み取った金銀に衣服を添えて妹に与えながら、「私らは旅の商人だ。お前が不憫だから褒美をやる。これから母にもっと孝養を尽くせよ」と蓑笠を着せて帰してやったという。〈同書158~161ページ〉

この話の結びには「至孝の心に感じてや、毘沙門天の利益にて得さしめ給ふにも異ならずと、その頃人のかたり伝へし」とある。孝子に神仏が感応する話は昔話や漢籍にも多くあり、このエッセイでもすでに取り上げた。特に漢籍にある物は、神仏が直接手を下すため、宣長が批判するようにおよそ現実的とはいえない。しかし、妹の誠心に感じて賊が金品を施したというのなら、実際にあったと思わせるに十分であるし、心悪しき盗賊でも持ち合わせていた憐憫の情という道徳的方向にも繋がる。万事めでたく収まるというものだ。

(G)
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