短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(63) 四方四季の庭①

13.01.14

中世の御伽草子「浦島太郎」では、浦島太郎が訪ねた竜宮城には、四方四季の庭があったそうです。浦島太郎が東西南北の四つの障子を順に開けると、四季の庭が目に入ってきたとあります。

まづ東の戸をあけて見ければ、春のけしきと覺えて、梅や桜の咲き乱れ、柳の糸も春風に、なびく霞の中よりも、黄鳥の音も軒近く、いづれの木末も花なれや。南面をみてあれば、夏の景色とうちみえて、春を隔つる垣穗には、卯の花やまづ咲きぬらむ、池のはちすは露かけて、汀涼しき漣に、水鳥あまた遊びけり。木々の梢も茂りつつ、空に鳴きぬる蝉の声、夕立過ぐる雲間より、声たて通るほととぎす、鳴きて夏とは知らせけり。西は秋とうちみえて、四方の梢紅葉して、ませのうちなる白菊や、霧たちこもる野べのすゑ、まさきが露をわけわけて、声ものすごき鹿のねに、秋とのみこそ知られけれ。さて又北をながむれば、冬の景色とうちみえて、四方の木末も冬がれて、枯葉における初霜や、山々や只白妙の雪にむもるる谷の戸に、心細くも炭竃の、煙にしるき賎がわざ、冬としらする景色かな。

この四方四季の庭は中国の陰陽五行説の影響を受けたものであり、一瞬にして四季が見られる――四季が同時に存在することから、永遠あるいは不老不死の世界の象徴であると言われています。浦島太郎が竜宮城で過ごした時間は三年間だったはずなのに、人間の世界に戻ってきて玉手箱を開けたら、七百年の歳月が過ぎていたとか。竜宮城と人間界の時間の流れはどうも違うようです。

四季が同時に存在し、人間界の何百倍も生きられるわけですから、竜宮城は日本人の憧れた浄土(異界)の一つと言えるでしょう。それと同時に、老いることも物思いもない、かぐや姫の故郷「月の都」が思い起こされます。

さて、四方四季の庭は『うつほ物語』にも登場しますし(吹上の宮)、『源氏物語』で光源氏は四季の町を造って、自分とかかわりのある四人の女性を住まわせています。そのことについては、いずれお話ししましょう。

四方の窓を開けたら、外の景色があまりにも凄惨で、恐怖のどん底に突き落とされたという話もあります。アラビアンナイトの「帝王(スルターン)マハムードの二つの世界」では、エジプトの帝王マハムードが玉座の広間の四つの窓から眺めた景色は、一瞬だけ恐ろしい世界に変わります。

帝王が第一の窓を開けると、配下の軍隊が反乱を起して、大軍が宮殿の下にまで押しかけているのが見えました。第二の窓を開けると、美しい都が火に包まれ、火の海が王宮にまで迫っていました。第三の窓を開けると、ナイル河が氾濫して、王宮の壁にむかってすさまじい勢いで襲いかかってきました。第四の窓を開けると、楽園のような平原が砂漠に変わり、邪悪な獣で溢れていました。

帝王は恐ろしくなって一旦窓を閉じますが、もう一度開けてみるといつも通り平和な街が眼下に広がっていました。これは、西の果ての国マグリブからやってきた長老(シャイター)が、帝王に見せた幻術です。その後、帝王マハムードは、この長老によって、大広間にある泉の中に頭を沈められます。その間、難破を体験したり、荷かつぎ人足や水車小屋の驢馬になったり、ものすごいお婆さんの夫にさせられそうになります。帝王が泉水に頭をつけていたのはほんの一瞬。この苦しい体験によって、帝王マハムードは、時々襲ってくる鬱々とした気分から解放されたのです。

また、四方に様々な世界を見るといった話には、釈尊の「四門出遊(しもんしゅつゆう)」の話もあります。釈尊が出家する前、都の東西南北にある四つの城門から郊外に出かけた折、それぞれ老人、病人、死人、出家者を見かけ、人が生きる上で避けられない生老病死といった四苦があることを悟り、出家したという伝説です。

帝王マハムードも釈尊も、四方の窓を開け、人がこの世に生を受けて生きていく苦しみを体験しました。一方、浦島太郎は竜宮城の座敷の四方の窓を開け、美しい日本の楽園を眺めました。御伽草子の「浦島太郎」のように、四方四季の庭が眺められる窓だったら、私も開けてみたいですね。

(し)
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