短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(56)『近世畸人伝』(8)―烈女―

12.11.02

畸人伝・続畸人伝には、27人の女性が登場する。そのうち、圧倒的に多いのが貞女・孝女の類であり、11人を数える。いわゆる才女10人がそれに次ぐ。貞女は、寡婦となった後、周囲から勧められても新たに夫を迎えず貞節を守り通したという話がほとんどで、儒教倫理でいう「貞女は二夫に見(まみ)えず」というわけだ。現在の感覚からすれば、抑圧的だと受け取られるに違いない。

孝女にしても同趣で、先に紹介した大和伊麻子やいとめなどは、孝行をしていれば、必ず報われるという道徳的な教訓に結び付きやすい。

そこで、説教臭さのない、話自体が面白い烈女をここに紹介することにしよう。

摂津の国某城主は、豊臣秀頼公に仕えていたが、度々直諫して公の意に逆らったため、逐電し、行方をくらましてしまった。北の方と八歳になる兄、三歳の妹が人質として囚われ、城内に幽閉されてしまう。明け暮れ夫の身を案じて嘆く北の方に、小万(こまん)という気働きのよい奴婢が、侯は清水寺にいる由を聞きつけて告げると、早速、城中からの脱出を企てる。抜け道を考え、水門から淀川に出る経路を下見した上で、北の方を伴い、夜陰に乗じて水門から忍び出て淀川へ出た。川を泳いでさかのぼり、調度や衣裳などを入れた袋を松蔭に隠すと、小舟を調達する。自分は水に浸かりながら袋を乗せた小舟を推し進め、北の方と兄妹を乗せると、薄暗い月明かりの下に棹を操る。船中では、袋から取り出した衣裳に着替え、物詣での様相に仕立てるが、明け行くほどに、とても女房の遊山とは見えない。清水への道を急ぐうち、山崎の辺りで近寄って来た恐ろしげな男が、京の五条へ来たところで大勢の仲間とともに現れ、取り囲んだ。ただ者でなさそうだから、子供らを送り届けてたんまり礼をもらおう、美しい女房だから、自分の妻にしたい、袋には金目の物があるだろうから、それをよこせ、などと言いながら、山賊が袋に手をかけようとすると、北の方と小万は、かねて用意の懐刀を抜き出して斬り回った。賊は生け捕りにしようと思っていたが、激しく斬りかかられ、飛び退いてはまた集まる。隙をついて終に若君を奪って逃げようとした。すると、北の方は、人手に渡してなるものかと、賊の首と一緒に若君をも一刀に斬り下げ、今はこれまでと四人まで斬り倒せば、小万も六人まで斬って捨てる。賊は逃げ去ったが、深手を負った北の方は、せめて妹を父君に会わせてくれと頼むと、息絶えてしまった。この北の方は美人の誉れ高く、箏や和歌に長じ、長刀の名手であったという。小万は、周辺の寺に北の方と若君の供養を頼む。そして、ここはどこかと尋ねると、なんと清水寺だというではないか。こうして探し当てた父君に妹君を渡すことができたのだが、あれほどの剣戟乱闘にもかかわらず、背に負った浅手一か所だけだったという。〈『続畸人伝』巻之四、405~408ページ〉

「忠にして智あり、しかも勇猛なるは、世にめづらしき女といふべし」と三熊花顚の評するとおり、まさに烈女の名に恥じない大活躍だ。

これは戦国時代末期の逸話であるが、戦争になると、男だけに任せておけないというのか、勇猛果敢この上ない烈女が登場する。明治維新直後の会津戦争における新島八重もその一人であった。以下、金谷俊一郎『名も無き偉人伝』に依って記そう。

4斗俵(約72キロ)を4回も肩に上げ下げするほどの膂力(りょりょく)を誇った八重は、12歳の時から17歳年長の兄覚馬に砲術を習っていた。だから、新政府軍に攻め立てられ、鶴ヶ城に立て籠もった折にも、藩士らに交じり、男装をして夜襲隊に参加しようとしている。当時の新式スペンサー銃を平気で操り、政府軍を邀撃(ようげき)するばかりでない。城内では、政府軍から撃ち込まれた四斤山砲(しきんさんぽう)の不発弾を分解し、その構造と殺傷力について、藩主松平容保(かたもり)の前で淀みなく解説もしている。

兵糧と弾薬の尽きた会津軍は、ついに城を明け渡すことになったが、その時、八重の最初の夫である川崎尚之助(しょうのすけ)の消息を失った。同志社大学の創立者新島襄と結婚するのは、明治8年-1875-のことである。「日本の女性の如くなき女子」を理想とし、「亭主が東を向けと命令すれば、三年でも東を向いている東洋風の婦人はご免です」と京都府知事槇村正直に語ると、槇村は早速八重を紹介したという。八重は、襄の好みにぴったりの女性であった。襄32歳、八重30歳のことである。

だが、欧米旅行以来病気がちであった襄の死により、結婚生活は14年間にすぎなかった。しかし、ここからが八重の偉いところで、昭和7年-1932-、86歳で数奇な生涯を閉じるまで、「社員たるもの生徒たちを丁重に取扱うべきこと」という襄の遺訓を忠実に守りながら同志社を盛りたてただけでなく、40年余に亙って社会福祉活動一筋に生き抜いたのである。

(G)
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