短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(53)『うつほ物語』いぬ宮誕生①

12.10.02

仲忠は二十三歳の時、朱雀帝の娘・女一の宮と結婚します。約一年後、女一の宮はめでたく懐妊しました。

仲忠は、亡き祖父・俊蔭の蔵から『産経』という本を取りだしてきて読みます。どうやら『産経』は、お産についてのマニュアル書のようです。仲忠は、女の子が生まれるかもしれないと思い、生れてくる子が美しく、性格もよくなると『産経』に書いてあるものを、妻の女一の宮に食べさせました。

中納言(=仲忠)、かの蔵なる産経などいふ書ども取り出でて、並べて、女御子にてこそあれ、と思ほして、生まるる子、かたちよく、心よくなる、といへるものをば参り、…(女一の宮の)参りものは、刀、俎(まないた)をさへ御前にて、手づからといふばかりにて、われはなほ添ひ賄ひて参りたまふ。[新編日本古典文学全集②332頁]

なんと仲忠は、妻の食事を自ら用意しています。刀やまな板までも自分の前に置き、調理するばかりにして、妻に付きっきりで食べやすいようにあれこれと世話を焼いています。仲忠は、ナイスハズバンドですね。

懐妊中、仲忠は妻にずっと付き添っていました。家で漢籍を読み、一日中学問をしながら、妻とともに過ごすなんて、なんて素敵なんでしょう。現代は外に仕事を持っていると、なかなかこのようにはいかないでしょう。

かくて、その年は立ち去りもしたまはず。かつは書(=漢籍)どもを見つつ、夜昼学問をしたまふ。

産屋の準備も着々と進められてゆきます。やはり産屋は白一色です。

かくて、産屋の設け、白き綾、御調度ども、白銀にし返して、殿に設けたまふ。[同334頁]

出産の約二カ月前から、安産のための加持祈祷も行われました。お経が昼夜間断なく唱えられるのです。女一の宮が産気づいた時、彼女の祖父・正頼が自ら、魔よけのための「弓弦(ゆづる)打ち」をしています。

かかるほどに、寅の時(午前4時とその前後2時間)ばかりに生まれたまひて、声高(こわだか)に泣きたまふ。[同336頁]

とうとう赤ちゃんの誕生です!お父さんになった仲忠は、がまんできなくなって産屋をのぞき、「男ですか?女ですか?」と尋ねます。仲忠の母(=俊蔭の娘)は、「夜目(よめ)にもしるくぞ」、つまり「夜目」に「嫁」をかけて、女の子であることを告げました。仲忠は本当に嬉しくなって、「万歳楽」というおめでたい舞を繰り返し舞いました。

約千年前の夫も、妻のお腹に良いと言われるものはすべて用意し、妻に寄り添って過ごします。出産にも付き添い、子が誕生すると、喜びのあまり踊り始めてしまいました。仲忠は「夫の鑑(かがみ)」ですね。でも、当時、本当にいたんだろうか?こんな素敵な旦那さん…。(つづく)

(し)
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