短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(45) 身を捨ててこそ…薩埵王子とグスコーブドリ

12.07.12

法隆寺の玉虫厨子(国宝)には、どのような絵が描かれているか、ご存じですか?厨子中段の須弥座の右側面には「捨身飼虎図(しゃしんしこず)」が描かれていますが、これは仏教経典『金光明経(こんこうみょうきょう)』にある薩埵(さつた)王子の話にもとづいて描かれたものと言われています。

釈迦の前世である薩埵王子は、二人の兄とともに狩りに出かけ、飢えた母虎と七匹の子虎を目にします。薩埵はこの母子虎を可哀相に思い、自分の身を虎の前に投じて、母子虎を飢餓から救ったのでした。玉虫厨子では、薩埵が崖の上で衣を脱いで木にかけている場面、崖の上から身を投じた場面、母子虎に食べられている場面の三場面が同時に描きこまれています。飢えた虎たちが薩埵に食らいつく絵は凄惨だと思われることでしょう。でも、竹林越しに描かれており、また、何よりも薩埵の顔がとても安らかで満ち足りた表情をしていることから、生々しさよりも「薩埵王子の美しさ」が伝わってきます。

「身を捨てて虎に飼(た)べさせた」薩埵王子の話を「捨身飼虎」とも言い、和文化されたものが『三宝絵』(仏教説話集。源為憲著。10世紀末)に収められています。

(薩埵王子は)虎の前に行きて身を任せて臥しぬ。慈悲の力に、虎更に寄りて食はず。また念(おも)はく、「此(こ)の虎は疲れ弱ければ、我れを食ひ難きならむ」と念ひて、起(た)ちて、枯れたる竹を取りて頸(くび)を差して血を出して、また、虎の前に歩み近付く程に、大地震ひ動く。風の波を上ぐるが如し。空の日光無くして諸方暗し。空の中より花を雨(ふ)りて林の間に乱れ落す。飢ゑたる虎、王子の頸の下より血の流るるを見て血をねぶりつつ、肉を喰(は)み骨を残せり。   ※ねぶる…なめる

薩埵王子の二人の兄は、飢えた母子虎に関心を持つものの、何もしないで、その場を立ち去りました。玉虫厨子の研究者・石田尚豊氏は、「観念的に頭で『可哀相』ということと、『可哀相』を実践することとでは、世界が天と地ほどに異なります。薩埵王子だけが飢えた虎の苦悩をまともに受け取り、『可哀相』と感じた慈悲の心を、一大決意のもとに身をもって貫き通したということが、この捨身飼虎図の焦点です。」と仰っています(「玉虫厨子は語る」)。慈悲の心を行動で示した薩埵王子の強い信念には敬服しますね。

さて、宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』(昭和7年)の主人公グスコーブドリも、自分を犠牲にして、東北の人々を冷害による飢饉から救いました。6月になっても毎日寒く、凶作を危惧したグスコーブドリは、カルボナード火山島を人工的に爆発させて気温を上昇させることを思いつきます。その作業を成功させるためには、カルボナード火山島に行った者のうち、最後の一人だけは火山島に残らなくてはなりませんでした。グスコーブドリは一人島に残り…。数日後、イーハトーブは暖かくなり、その年の収穫も普通になり、人々は飢えることなく冬を越すことができたのでした。

薩埵王子もグスコーブドリも自分の命を投げ出すことによって、飢餓に苦しむ者を救いました。これらは極端な話かもしれませんが、一身を投げだす覚悟があって初めて、救われる命もあるのだということを教えてくれます。

※「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」は、「一身を投げ出す覚悟があってこそ、窮地を脱して物事を成就することができる」の意です。

(し)
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